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足エレベーター

小さい頃、床に物を落として拾うのに、屈むのがメンドクチャイからって足で拾うことを「足エレベーター」とか言ってた。で、母親に「横着しないの」と怒られた。わたしはそこで「横着」という言葉を覚えた。

ということを今日思い出したので書いただけです、ハイ。

090909

高校のとき、クラスメイトに「キューちゃん」と呼ばれる子がいた。なぜキューちゃんなのかというと、誕生日が9月9日だから、だった。勝手に「Q」を当てていたが、「Qちゃん」ではなく「9ちゃん」だった。「9ちゃん」だと、なんだかテレビみたいだ。チャンネルはテレ東に。

とこ
ろで

彼女の親友は「いっちゃん」だった。苗字が「いのうえ」だったので「いっちゃん」なんだとおもいこんでたけど、もしかしたら1月1日生まれだったのかもな・・・

なんてことをおもった。本日。にせんきゅうねんくがつここのか。

鳴らない口笛

サトウハチローの詩に「夏の子」っていうのがある。ピアノの先生がそれに勝手に曲をつけて、発表会のときみんなで合唱した。発表会は毎年今ぐらいの季節だったから、この時期よく思い出す。すごくいい歌。

詩って勝手に曲つけて勝手に歌っていいもんなのかなとか思ったんだが、プライベート(?)な発表会で歌ってるだけだからべつにいいのかもね 。

ウシになる

子供の頃、よく「食べてすぐ横になると牛になるよ!」と窘められたものです。なんじゃそりゃ山月記じゃあるまいし、とか毒づく可愛くない子供だったかどうかは定かではございませんが、子供心に、生物学的にどういうプロセスを踏めばヒトがウシになるんだよ、という考えが脳裏を掠めつつも、いやでもウシは困るよなウシは、と思い、素直に親の言うことを聞いたものです。

教育というのはある意味洗脳だとどこかの誰かが申しておりましたが、なるほどそれは一理あるのかもしれないと思い、ここに記しておく次第であります。

[今日の嘘八百]
虎になった李徴はその後、高速回転することでバターになったという。

ネコヤナギ

子供の頃、ネコヤナギがすごく好きだった。フワフワのビロード状の穂がつるりとなめらかな肌触りで、とても魅力的だった。その肌触りがあまりにきもちいいもんだから、あれを耳の中に入れて中耳炎になったことがある。バカとしか言いようがない。

あの銀白色の花穂をネコのしっぽに見立てて「ネコヤナギ」って名前がついてるらしいけど、わたしは手だとおもう。ネコの手の肌触りにすごく似てる。ふわふわで、すべすべとなめらかで。
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土曜日

先日観た「フリータイム」は、朝の30分の話だった。微妙にちがうけど、土曜日の午後のことをふと思い出した。

土曜日というのは特別な曜日である。いまはもう(官公庁とか公立の学校、たいていの会社は)完全に休みでそーゆうのはないのかもしれないけど、土曜日は学校が半日で終わる。その「半日」というのは、なんだかとても魅力的なものだったなあと、いまおもう。まる1日休みの日曜日よりも特別なものが、土曜日にはある。同じ意味で夏休みとかの長期休暇前後にある短縮授業ってのも、すごく好きだった。

授業が半日で終わって、家に帰る。家に帰ると、ごはんが用意してある。してないことも、もちろんあったとおもうけど。学校がはやくおわって家で食べるお昼ごはんというのは、ちょっとだけ非日常感があってすごく好きだった。お昼で日は高く、部屋は電気をつけなくても明るくて、兄弟もそれぞれなんとなく帰ってきて、みんなで食べる母親の作ったテキトーなごはん。なんかその光景が鮮明に浮かぶ。

土曜日は、ピアノのレッスンの日だった。学校が半日で終わるから、午後にレッスンにいく。電車で1時間くらいの江古田の先生のとこまでいく。学校から帰ってきてごはんたべて、ピアノのレッスンにでかけるまでの時間、それは至福の時間だった。土曜日の昼下がり、ぽかぽか陽気の中で、おなかは満たされ、ざぶとんの上で微睡む半刻ほどというのは、冬の朝にいつまでも布団から出ないでぬくぬくしているあの気持ちよさに匹敵するものがあった。

半日って、なんかいいよなあ。かといって今土曜日が午前中は出勤、とかなったらすんごいイヤだけど。

コード

中学1年の1学期の音楽の試験に、校歌の○番の歌詞を書け、っていうのが出た。これは毎年1年生の最初の音楽のテストで出されている問題だそうだ。新入生に校歌をちゃあんと覚えてもらいましょう、っていうことでね。

その校歌の歌詞の中に「我ら若人 集いて学ぶ」という一節がある。いわゆるサビの部分だ。ここの歌詞を、
「我らはコード」
と書いた輩がいる、とテスト返却時に先生が宣った。
「オマエら、コレかよ!?」
と、スピーカーやアンプにつながってるコードを摑んで宣った。
教室は爆笑の渦。

わたしはその後3年間、校歌斉唱のたびに「我らはコードw」と、集っては学んでいるコードを思い浮かべてはクスリとしたものだ。きっとわたし以外にもそんな人があと4人くらいいたことだろう。

今にして思えば、いくらアホな中学生とはいえ「我らはコード」はないよなあ、もしかしたらあれは毎年1年生に向けるあの先生のお決まりのネタだったのかもしれないなあ、なんてことをふとおもった。

いや、ホントに「我らはコード」と書いたおばかさんがいたのかもしんないけど。
Before

コンコルドにあこがれた幼少時代

子供の頃、コンコルドに憧れていた。

コンコルドは、超速い乗り物。
この世で一番速い乗り物。
と、お兄ちゃんに教えられた。

コンコルドだったらおばーちゃんちまで1分だぜ1分!
スゲーー!! コンコルド超スゲーー!!!

みたいな。
見た目の近未来っぽさも子供心をくすぐったものだ。

ま、あれです、思い出話。

東海道新幹線にあこがれた幼少時代

子供の頃、東海道新幹線に憧れていた。

新潟方面に行くことはあるから上越新幹線にはよく乗るんだけど、東海道新幹線に乗る機会はあんまりなかったのだ。お盆とかに田舎に帰るとかで博多行きとかの新幹線に乗る人をうらやんだものだ。東京から横浜に行くのにさすがに新幹線は使わない。

なんで東海道新幹線に憧れていたかと言うと、帯が青だったからだ。上越新幹線は帯の色が緑で、東海道新幹線は青。青色が好きだったし、100系がすごくかっこよくみえた。未来の乗り物に見えた。幼少の私は新潟に行くのに「青い新幹線がいいーー」とだだをこねたものだ。

えーっと特にオチなどはありません。ただの思い出話です。