思い出話」タグアーカイブ

しとしと

なんかここにきて梅雨らしい雨。しとしと、ずっと降ってるかんじの。中学の時、雨の日に部活が休みになるのが嬉しかったことをふとおもいだした。職員室前に部活の伝言板みたいなホワイトボードがあって、そこの女子テニス部の欄に「休み」と書かれると小躍りした思い出。

ブッシュドノエル

子供の頃、ブッシュ・ド・ノエルに憧れていた。家にあった料理本に掲載された、切り株の形のかわいいクリスマスケーキにものすごく惹かれたのだ。昔は母上はケーキとかも作っていたから、クリスマスケーキも手作り。もちろんそれはとてもおいしいんだけど普通の丸いケーキで、木のかたちをしたケーキは特別なものに見えた。食べてみたい気もするけれど、本の写真を眺めるだけでなんとなく満足していた。

昨日、出かけた帰りに母上が我が家に立ち寄った。手にはケーキの箱。開けてみたらば、マジパンのサンタがのっかった切り株の形のケーキだった。憧れのブッシュ・ド・ノエルを食べられて、なんだか幸せなクリスマスイブ。ちなみに本日の我が家のディナーは、アジの干物であったw

RS ウイルス

太郎が RS ウイルスに感染してしまった。RS ウイルスは大人だと風邪のような軽症で済むけれど、乳児に感染すると重症化しやすいらしい。乳はよく飲んでるし熱もなく、わりと元気にしていたので始めそれと気付かず風邪だとおもっていたんだけど、何日も咳が止まらず、そのうち痰が喉にからんで苦しそうにするようになった。数日前の夜に高熱を出し、あわてて救急センターに駆け込んだ。本人わりとケロッとしていたんだけど、検査の結果 RS ウイルス。あわや入院というところだったけど、ギリギリ家で様子を見てもいい程度だったのが不幸中の幸い。とは言え、苦しそうな太郎を見るのは泣けてくるほどに辛かった。今はだいぶ回復してきたので本当によかった。。

子供の頃、兄は喘息持ちで、しばしば発作を起こしてゼーゼーヒーヒーいって夜は眠れず、たいそう苦しそうにしていた。横に寝かせると苦しいから、母上は夜通し幼い兄の上体を支えて背中をさすっていた。我が子の苦しみは自分の苦しみ以上に辛い。あの時の母上はどんなに辛かっただろうとおもうと、なんだか泣けてくる。未だにイマイチ自分が母であるという実感が薄いんだけど、自分にもこんな感情が芽生えるんだなぁ、これが母性ってやつなのかなぁ、とぼんやりおもうなどした。太郎の笑顔が一番嬉しい。

ボンカロアセメン

その昔、小学生だった頃、お兄ちゃんと仲良くピアノのレッスンに通っていた。先生のお宅へは電車を乗り継いでいくんだけど、親に内緒で駅の売店でよくお兄ちゃんが買ってくれたのが、ボンタンアメ、カロリーメイト、アセロラキャンディ、そしてメントスだった。そういう市販のお菓子の類いをあまり買ってもらえなかった当時、ちょっとイケナイことをしているという意識があって、だけどお菓子おいしくて、なんていうか、そういう思い出。

ちなみに行きは駅の売店で上記のお菓子、帰りは江古田銀座商店街で今川焼きとか焼き鳥とか食べてた。ああ、今川焼き食べたい。

武蔵野うどん

中学の時の美術の先生シリーズです。今度の美術の先生は、脱公務員してパスタと釜焼きピッツァのお店をオープンした。中学生当時、「先生の作るパスタ美味いんだぞー。いずれ教師やめてパスタ屋開こうと思ってるんだ。そしたら食べに来いよ」って言っていて、それで本当に開いたもんだから(しかも実行までがかなり早かった)、なんか嬉しかった。もちろん何度も食べに行ったし、すごくおいしかったし、お店には教員時代の同僚である関先生の絵が飾ってあったりして、すごく微笑ましかった。何しろ美術の先生だから、お店の内装なんかも全部自分でやっていて、すごく素敵だった。

その後お店が移転して、ここ数年は引っ越して遠くなってしまったこともあって、なかなか行けていなかった。その間、お店の方もいろいろ迷走していたようで、食べログはじめネット上で情報を探してもどうもイマイチな評判ばかりで、どうなったかな、と気になりつつ、なかなか行く機会を得ないでいた。

ところが今年9月、なぜか突然の方向転換。なんと、うどん屋に転向である。ええ!? う、うどん!?!? 最初は何かの冗談かとおもった。しかしどうやら本気のようである。まあ、パスタとうどん、似てるっちゃ似てるんだけど・・・いやちがうだろ・・・。とにかく先生の気が変わらないうちに、食べに行ってみよう。武蔵野うどんは吉田うどんみたいな太くて硬い系だとのことなので、ちょっと楽しみである。

で、本日。本当は別の予定が入っていたのだが、今朝になって諸事情により急遽延期。コリャ千載一遇のチャンス! てなわけで、行って参りました。
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武蔵野うどんの定番であるらしい、肉汁うどん。うん、太さはそこまでではないけど、しっかり歯応えがあっておいしい! つけ汁はかつおだしの醤油味。かつおの風味がしっかりして、豚肉も柔らかくて甘みがあってとってもおいしい〜。これで並盛りなんだけど、400g あるらしくて超絶ハライッパイになった。ふぅ、ごちそうさまでした。おいしかったー。

先生は、厨房でせっせとうどんを茹でていた。こちらには気づいていなかったので、声をかけたりはしなかったけど。ちょっと年取ったかな。でも、元気そうで安心した。これからもおいしいうどんを作ってください。いや、また気が変わってパスタ屋に戻ってもいいんだよ。どうせなら両方提供とかどうかしらw

他のメニューも試してみたいし、また機会があったら行ってみよう。

トキ

江古田で1番古い喫茶店であり、ドカ盛り界(?)でも有名であるらしいトキが、この5月に閉店していた。

小学生の頃から大学卒業まで20年間ピアノのレッスンに江古田に通い、その間せいぜい2,3回くらいしか入ったことないとおもうんだけど、毎週お店の前を通るから、ものすごく親しみがあった。ザ・昭和なショーウィンドウには、子供心をくすぐったパフェやプリンアラモード、謎のオジサン人形、そして特大ナポリタン。

もうちょっと早く知っていればもう一度行きたかった。
ああ、さらば、トキ。

台風の日のアイスクリーム

台風の日に、家庭用のおもちゃみたいなアイスクリームメーカー(スヌーピーの絵柄がついていた)をくるくるまわしてアイスクリームをつくっている、という情景をよくおぼえている。おそらくわたしが3歳くらいの頃だとおもう。昼間なのに外は暗くて、強い風と雨がちょっと怖いような、でもちょっとワクワクするような、そんな中でアイスクリームをくるくる。

わたしの最古の記憶、台風の日のアイスクリーム。よってわたしは、台風がくると無性にアイスを食べたくなってしまうのだ。まあ台風こなくても年中アイス食べたいんだけど。

ゆでたまご

かあばあちゃんは崎陽軒のシュウマイと一緒に、ゆでたまごもよく買ってきた。駅の売店とかで売っているあれだ。そのゆでたまごは塩味がして、黄身がちょっと半熟で、やけにおいしく感じられた。母上の作るゆでたまごはいつも黄身のまわりが灰色になっていて、黄身もボソボソでわたしは黄身が嫌いだったんだけど、それは単なるゆですぎだということを知ったのは大人になってからだった。うちの卵はいつも赤玉なんだけど、かあばあちゃんが買ってくるゆでたまごは殻が白くて、それもすごく新鮮に感じられた。

あと、かあばあちゃんが作ってくれた中華丼がおいしかったし、かあばあちゃんが握ってくれたお寿司もおいしかった。

・・・かあばあちゃんの思い出、食べ物のことばっかだなw

痴漢の森

小学生のころ、学校の近くに「痴漢の森」とよばれる森があった。痴漢が出るから痴漢の森である。今おもえばトンでもない名前であるが、当時は普通に使っていた。

痴漢の森とはいうけれど、じっさいに痴漢そのものをその森で見た事はなかった。都市伝説のようなものなんだろうと理解していた。だけどなにしろ痴漢の森なので、あまり近づいてはいけないという風潮があった。

小学校3年生くらいだったか、水泳の授業中に、女子更衣室から女子児童数名の洋服が盗まれるという事件が発生した。たしかわたしも被害にあった気がする。数時間後、痴漢の森でその洋服たちは発見された。その時、やっぱり痴漢の森なんだ・・・! と、幼心におもったものだ。

小学校も高学年になってくると、遊び場的に痴漢の森にも足を踏み入れるようになる。それでもやはり、痴漢そのものには出会わなかった。中学生になると、通学路そのものが逆方向に変わったため、痴漢の森に接する機会がなくなり、生活の中で「痴漢の森」という呼称を聞くこともあまりなくなった。

そしていま、痴漢の森は伐採され、住宅地になっている。そこにいた痴漢はどこへいったのだろう。それとも、最初から痴漢なんていなかったのか。真相は、よくわからない。どこにあるかみんな知ってる、どこにあるか誰も知らない。痴漢の森は、心の迷路。いやそれまっくら森。

関重一郎パステル画展

R0011040時折ふと、彼の描く絵のやわらかなタッチを思い出す。そしてブラウザの検索窓にその名前を打ち込んでみる。

関先生は、中学の時の美術の先生だった。直接授業を受けたことはなくて、美術室の掃除の時間に関わっただけ。そんな短い時間でも、たまらなく惹かれるその人柄。佇まいからして超絶な癒しのオーラを放っている、素敵な人だ。

彼の個展が開かれるのを知り、新宿のギャラリー絵夢に向かった。会場に入ると、昔と変わらぬ姿でそこに先生はいた。現在は教員を辞めて個人でパステル画の教室をひらいているそうで、他にも生徒さんらしきお客さんが数人来ている。わたしは数年前にも足を運んでいたのだが、それでもかなり久しぶりなのでもう先生はわたしのことは覚えていないだろうとおもい、声はかけずに展示を見ていた。変わらないやわらかなタッチとやさしくあたたかな色彩は、なんだか安心する。

半分くらい回ったところで、名前を呼ばれた。覚えててくれたのか! と、内心かなり驚喜した。まあ芳名帳に名前を書いていたので、それをみて思い出してくれたのかもしれないけど、それでも嬉しい。しばし話し込む。「俺は四中が本当に好きだった。四中から離れたら、教師は続けられなかった」と仰っていたのが印象的だった。そして先生はまた別のお客さんのところへ。わたしはふたたび展示を見て回る。

しばらくすると、先生は画板を持ってやってきた。生徒さんらしき若いご夫婦がいて、奥さんのほうは赤ちゃんを抱いている。どうやらこれから赤ちゃんの絵を描くようだ。これはいいところに居合わせた。淡いパステルの色を重ね合わせて、赤ちゃんのやわらかな肌や髪の毛の質感が紙に落とされていく。モデルをとらえる目はまっすぐで、紙の上を行き来する手の動きに迷いはない。絵を描く姿は美しい。

なかなかじっとしてくれない赤ちゃんに苦戦しつつ、ものの十数分で描き上げた。先生の絵は風景画が圧倒的に多いけど、そういえば中学のときも生徒をつかまえて人物画を描いていたっけ。美術準備室におかれた描きかけの誰かの絵を見ては、わたしも描いてほしいなぁと密かにおもったものだ。もちろん美術室の掃除当番で話すだけだったわたしは、そんなお願いをすることはできなかったけど。

いいもん見たなぁ、とおもいつつ、退散する前にもういちど先生に挨拶。「稼ぎがよくなったら先生の絵を買いたいです」って言ったら、「稼ぎがよくなったらでいいからな。こんどお前も描いてやるから」と。すごい嬉しかった。ほんとに描いてもらえるかはわからないけど、いつか描いてもらえたらいいなぁ。できることなら、わたしがシワシワのバアサンになる前に。

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