江古田で1番古い喫茶店であり、ドカ盛り界(?)でも有名であるらしいトキが、この5月に閉店していた。
小学生の頃から大学卒業まで20年間ピアノのレッスンに江古田に通い、その間せいぜい2,3回くらいしか入ったことないとおもうんだけど、毎週お店の前を通るから、ものすごく親しみがあった。ザ・昭和なショーウィンドウには、子供心をくすぐったパフェやプリンアラモード、謎のオジサン人形、そして特大ナポリタン。
もうちょっと早く知っていればもう一度行きたかった。
ああ、さらば、トキ。
江古田で1番古い喫茶店であり、ドカ盛り界(?)でも有名であるらしいトキが、この5月に閉店していた。
小学生の頃から大学卒業まで20年間ピアノのレッスンに江古田に通い、その間せいぜい2,3回くらいしか入ったことないとおもうんだけど、毎週お店の前を通るから、ものすごく親しみがあった。ザ・昭和なショーウィンドウには、子供心をくすぐったパフェやプリンアラモード、謎のオジサン人形、そして特大ナポリタン。
もうちょっと早く知っていればもう一度行きたかった。
ああ、さらば、トキ。
台風の日に、家庭用のおもちゃみたいなアイスクリームメーカー(スヌーピーの絵柄がついていた)をくるくるまわしてアイスクリームをつくっている、という情景をよくおぼえている。おそらくわたしが3歳くらいの頃だとおもう。昼間なのに外は暗くて、強い風と雨がちょっと怖いような、でもちょっとワクワクするような、そんな中でアイスクリームをくるくる。
わたしの最古の記憶、台風の日のアイスクリーム。よってわたしは、台風がくると無性にアイスを食べたくなってしまうのだ。まあ台風こなくても年中アイス食べたいんだけど。
かあばあちゃんは崎陽軒のシュウマイと一緒に、ゆでたまごもよく買ってきた。駅の売店とかで売っているあれだ。そのゆでたまごは塩味がして、黄身がちょっと半熟で、やけにおいしく感じられた。母上の作るゆでたまごはいつも黄身のまわりが灰色になっていて、黄身もボソボソでわたしは黄身が嫌いだったんだけど、それは単なるゆですぎだということを知ったのは大人になってからだった。うちの卵はいつも赤玉なんだけど、かあばあちゃんが買ってくるゆでたまごは殻が白くて、それもすごく新鮮に感じられた。
あと、かあばあちゃんが作ってくれた中華丼がおいしかったし、かあばあちゃんが握ってくれたお寿司もおいしかった。
・・・かあばあちゃんの思い出、食べ物のことばっかだなw
小学生のころ、学校の近くに「痴漢の森」とよばれる森があった。痴漢が出るから痴漢の森である。今おもえばトンでもない名前であるが、当時は普通に使っていた。
痴漢の森とはいうけれど、じっさいに痴漢そのものをその森で見た事はなかった。都市伝説のようなものなんだろうと理解していた。だけどなにしろ痴漢の森なので、あまり近づいてはいけないという風潮があった。
小学校3年生くらいだったか、水泳の授業中に、女子更衣室から女子児童数名の洋服が盗まれるという事件が発生した。たしかわたしも被害にあった気がする。数時間後、痴漢の森でその洋服たちは発見された。その時、やっぱり痴漢の森なんだ・・・! と、幼心におもったものだ。
小学校も高学年になってくると、遊び場的に痴漢の森にも足を踏み入れるようになる。それでもやはり、痴漢そのものには出会わなかった。中学生になると、通学路そのものが逆方向に変わったため、痴漢の森に接する機会がなくなり、生活の中で「痴漢の森」という呼称を聞くこともあまりなくなった。
そしていま、痴漢の森は伐採され、住宅地になっている。そこにいた痴漢はどこへいったのだろう。それとも、最初から痴漢なんていなかったのか。真相は、よくわからない。どこにあるかみんな知ってる、どこにあるか誰も知らない。痴漢の森は、心の迷路。いやそれまっくら森。
時折ふと、彼の描く絵のやわらかなタッチを思い出す。そしてブラウザの検索窓にその名前を打ち込んでみる。
関先生は、中学の時の美術の先生だった。直接授業を受けたことはなくて、美術室の掃除の時間に関わっただけ。そんな短い時間でも、たまらなく惹かれるその人柄。佇まいからして超絶な癒しのオーラを放っている、素敵な人だ。
彼の個展が開かれるのを知り、新宿のギャラリー絵夢に向かった。会場に入ると、昔と変わらぬ姿でそこに先生はいた。現在は教員を辞めて個人でパステル画の教室をひらいているそうで、他にも生徒さんらしきお客さんが数人来ている。わたしは数年前にも足を運んでいたのだが、それでもかなり久しぶりなのでもう先生はわたしのことは覚えていないだろうとおもい、声はかけずに展示を見ていた。変わらないやわらかなタッチとやさしくあたたかな色彩は、なんだか安心する。
半分くらい回ったところで、名前を呼ばれた。覚えててくれたのか! と、内心かなり驚喜した。まあ芳名帳に名前を書いていたので、それをみて思い出してくれたのかもしれないけど、それでも嬉しい。しばし話し込む。「俺は四中が本当に好きだった。四中から離れたら、教師は続けられなかった」と仰っていたのが印象的だった。そして先生はまた別のお客さんのところへ。わたしはふたたび展示を見て回る。
しばらくすると、先生は画板を持ってやってきた。生徒さんらしき若いご夫婦がいて、奥さんのほうは赤ちゃんを抱いている。どうやらこれから赤ちゃんの絵を描くようだ。これはいいところに居合わせた。淡いパステルの色を重ね合わせて、赤ちゃんのやわらかな肌や髪の毛の質感が紙に落とされていく。モデルをとらえる目はまっすぐで、紙の上を行き来する手の動きに迷いはない。絵を描く姿は美しい。
なかなかじっとしてくれない赤ちゃんに苦戦しつつ、ものの十数分で描き上げた。先生の絵は風景画が圧倒的に多いけど、そういえば中学のときも生徒をつかまえて人物画を描いていたっけ。美術準備室におかれた描きかけの誰かの絵を見ては、わたしも描いてほしいなぁと密かにおもったものだ。もちろん美術室の掃除当番で話すだけだったわたしは、そんなお願いをすることはできなかったけど。
いいもん見たなぁ、とおもいつつ、退散する前にもういちど先生に挨拶。「稼ぎがよくなったら先生の絵を買いたいです」って言ったら、「稼ぎがよくなったらでいいからな。こんどお前も描いてやるから」と。すごい嬉しかった。ほんとに描いてもらえるかはわからないけど、いつか描いてもらえたらいいなぁ。できることなら、わたしがシワシワのバアサンになる前に。
※長文注意
要約:知らない人の車に乗って浜松まで行った
7年前の夏、静岡県の渚園でおこなわれた B’z のライブに行った。ライブがおわって帰ろうというとき、財布がないことに気づいた。同行した友人は、時間の都合で終演のすこし前に先に帰っていたため、1人だった。血の気が引いた。
受付みたいなところに財布が届いていないか聞くも、届いていない。これだけの人がいれば悪い人も中にはいるわけで、落としたのかもしれないし、盗まれたのかもしれない、出てこないだろう、みたいなことを言われる。帰りの切符も財布の中。携帯電話の充電はもうほとんどない。どうしよう、帰れない。おまわりさんてのはお金を貸してくれないものだそうで、結局イベンターの人が交通費にと 9000円を貸してくれた。帰ったら現金書留で送ってくれればいいから、と言っていたけど、今思えばよく貸してくれたもんだとおもう。
とりあえずイベンターの人が車で警察まで送ってくれて、遺失届などモロモロの手続きをする。終わった頃にはもう23時近かった気がする。警察からの最寄の駅はすぐのところにあるんだけど、何せ田舎の小さな駅。それにもう電車がないんじゃないのみたいな時間になっていた。そんな見知らぬちいさな田舎町に放り出されて、文字通り途方に暮れた。ああ、途方に暮れるってこういうことなんだな、という実感を噛み締めながら途方に暮れた。
国道に出ると、「浜松 ○○km」の青看板が目に止まった。浜松・・・。夜通し歩いてれば浜松くらいまで行くんじゃね? 浜松まで行けばなんとかなるんじゃね? という考えがわきおこる。そうなると俄然やる気が出てくる。そして真っ暗な夜の国道1号をひとり歩き出したのだった。
歩き始めて数分経った頃だろうか、浜名湖のほとりだった。1台の車が私の前に止まった。中から20代後半くらいのオニーちゃんが顔を出して、「どうしたの?」と声をかけてくれた。事情を説明すると、「もし君が僕を信用してくれるなら、浜松まで送ってあげるよ。嫌だったら断ってくれてかまわない。どうする?」と。信用するとかしないとか、そんなことどうでもいいくらいに救われた思いがした。
お言葉に甘えて車に乗せてもらった。明るいオニーちゃんだった。「こんな夜中に女の子がひとりで暗い国道を歩いててさー、何かあったにきまってるじゃん。目の前浜名湖でしょ? 自殺する人とかいるんだよ」と。B’z のライブだった、と言ったら「おお、B’z かぁ。俺も学生の頃よく聞いたなぁ。B’z の CD あるぞ、聞こうか」といってかけてくれた。Treasure だった。このときの「恋心」が妙に耳に残った。「なんならウチに泊めてあげてもいいんだけど、さすがにそれは無理だろうからねぇ。浜松行けば、ファミレスとかカラオケとか、とりあえず夜を明かせるとこはあるから。」優しいニーちゃんだった。聞けば仕事帰りだったそうで(ブ****ンの社員だと言っていた)、逆方向なのに、本当にありがたかった。
20分くらい走って浜松駅に着くと、「お、お仲間がいっぱいいるぞw」と。そこには同じく終電を逃し、宿も取れなかったらしき人々がわんさかいた。ちょっとホッとした。本当にありがとうございました、助かりました、とお礼を言って車を降りる。オニーちゃんは「気をつけてなー」といってもと来た道を戻っていった。わたしは始発待ちをしている人たちに混ざって浜松駅で夜を明かし、翌朝鈍行で東京に帰った。
名前も連絡先も聞かなかったし(聞こうとしたけどいいよいいよって遮られたような記憶、ちょっと定かでない忘れた)、もう顔もまったく覚えていないけど、夏の終わりに思い出す、知らない人の車に乗った話。
眉毛と目が近い人のことをマユメチカというらしい(出典)。
↓ は hyde(個人的に、日本人マユメチカの代表選手だと思っている)

何を隠そうわたしは若かりし日、このマユメチカに憧れていた。外人さんって眉毛と目が近い人多いじゃない。あれがかっこよくみえたのだ。眉毛と目を少しでも近づけるべく、眉毛を整える際、上の方の毛を抜いて下の方を書き足す、みたいなことをしておった高校時代。なんとも健気というか、今にしておもえばなかなかに滑稽である。
そろそろ仮面ライダーについて書かねばなるまい。ここでいう仮面ライダーは、仮面ライダー BLACK である。なぜなら、わたしが幼少期にリアルタイムで見ていたのは仮面ライダー BLACK だからだ。
まずはオープニングテーマ。この曲は昔から大好きである。死ぬほどかっこイイ。なぜか iTunes のライブラリにもきちんと入っている。疾走感のあるイントロから始まり、「時を超えろ 空を駆けろ この星のため」である。シビれる。倉田てつをの歌唱力には度肝を抜かれるが、それはそれで味わい深い。過去にこれの ANIMETAL バージョンまで iTS で買ってしまったという実績もある。仮面ライダーがバイクに跨がり颯爽と駆け抜ける姿はあまりにも、あまりにもかっこいい。これはちょいとばかしズルいんではないか。バッタの風貌で。バッタ状のバイクで。この星のために、時を超えて空を駆けるのだ。ああ。ヒーローとはこういうものではないか。素晴らしい。
ところで、仮面ライダーはスズキ乗りだということを知った。たしかにあのバッタ状のバイクは、変態の名に相応しい。最近ではホンダが多いらしい。ふむ。
そしてエンディング、「Long long ago, 20th Century」。この歌は、仮面ライダーのいる未来の視点で、「緑なす大地 四季折々の花・・・」と、過ぎ去った20世紀を懐古するというものだ。実に切ない。哀愁漂うメロディがしみる歌なのだが、なぜか間奏(エンディングには使われていないが)だけが唐突にやたらとコミカルで、そのギャップが面白おかしく、幼いわたしは兄弟と共にゲラゲラ笑いながらそのおどけたリズムに合わせて踊っていた記憶がある。いま YouTube でその映像を見ると、前半は仮面ライダーがバイクに乗って走っているだけ、後半はバイクをおりてこちらに向かって歩いているだけ、どちらもアングル固定。というえらい手抜き感あふれる素敵な映像となっている。古くさいフォントも素敵だ。
それから、倉田てつを変身集なる動画で倉田てつをのイケメンっぷりに腹を抱えて笑う。サラサラヘアーがまぶしすぎる。まるで初恋のサッカー少年のようではないか。そしてまだあどけなさすら残している少年のような顔つきと、ドスのきいた(ふうにみせかけようとしてるけどきいてない)わざとらしい低い声がどうにも結びつかず、妙にちぐはぐな印象を与えて滑稽である。いや、失礼、かっこいい。こうたろうさん!こうたろう△!!「へん・しんっ!」。声に出して読みたい日本語である。倉田てつをがイケメンすぎるので、今どんなオッサンになっているのだろうかとググってみたところ、これまたクソカッコイイオッサンに成長しており、期待を裏切らないイケメンっぷりにただただ脱帽した次第である。
・・・えーっと、仮面ライダーを我がヒーローと崇める皆様、えらいすんませんw いやでも、わたしがバイクに乗りたいとおもったのは、函館の YH で同室になったライダーのオネーちゃんがめちゃんこかっこよかったからだったとおもうんだけど、もしかしたら幼少期の仮面ライダーが脳みその片隅に刷り込まれていたのもひとつの要因だったのかもしれないなぁ。なんておもったりおもわなかったり。
そういえば仮面ライダーは1人で戦うわけだから、いわゆる「戦隊」モノではないんだよなぁ。そうなんだよなぁ。なんて、どうでもいいことだけど・・・ね。
うちの母親の教育方針のひとつに、墨汁を使ってはいけないというのがあった。墨はするもの、墨汁なんぞ邪道である。という考えによるものだ。おそらく。授業では墨汁を使うことが前提とされ、墨をする時間など設けられていない。小学生の私は、書道の授業のある日の朝、せっせと墨をすって登校したものだ。しかしながら、どんなにがんばってすっても墨汁を使っている他のクラスメイトに比べてわたしの墨は若干薄く、それが妙に恥ずかしいことのように思えた。
似たようなことで、鉛筆はナイフで削らなければならない、というのもあった。鉛筆削るのに機械を使うなんぞ邪道である。という考えによるものだ。おそらく。小学生の私は、そりゃもう器用にナイフを使って鉛筆を削ったものだ。しかしながら、どんなにがんばってきれいに削っても、鉛筆削りで削ったものとの差は歴然たるもので、それもまた恥ずかしいことのように思えた。
それでも、がんばったかいあってか、なくてか、オウテカ、わりと書道や硬筆はうまいほうで、よく表彰されたりしていた。(今となっては見る影もないが)
中学生になり、シャープペンシルを使うようになり、鉛筆は削らなくなった。高校生になり、書道の授業が必須科目でなくなり、墨をすらなくなった。
高校三年大学受験の冬、先生が、入試の時は鉛筆を使うといい、と言っていた。で、休み時間には鉛筆削れと。ナイフで削れと。黙々と鉛筆を削ることで、精神統一が図れるからとてもいいのだ、と。そういえば母上も「墨をすると集中するでしょ」みたいなことを言っていた。わたしはここではじめて、なんとなく母の教育方針に合点がいった気がした。
まあ、ただ単に吝嗇だっただけかもしんないけど。
我が家は家族旅行というと夏はキャンプ・冬はスキーと決まっていた。わたしが高校入るくらいまでは、毎年必ず夏休みは家族でキャンプに行っていた。キャンプ場近くの川で遊んだり山にのぼるなどすることもあったけど、ほとんどがごはんの支度と片付けとあとはぐだぐだ、というアウトドアなんだかなんなんだか、わざわざフル装備で山ん中にぐだぐだしに行く、みたいなキャンプだった。
早起きして眠い目こすりながら車の中で食べる朝ごはん、ペグ打って張るテント、薪でおこした火と飯盒で炊いたすさまじくおいしいごはん、ツーバーナー点火前の儀式ポンピング、ランタンの灯り、朝露で濡れたテントの冷たさ、ほんとうに降ってくるかのような満天の星。そういうのぜんぶ、ほんとにすごいいい思い出。
そうやって10年くらいの間毎年どこかしらに行っている中、後に長く語り継がれるキャンプがあった。それが、御座松というキャンプ場でのキャンプだった。
いつもは夏休みに行っているのだが、11月の連休でも行くことになった。我が家ではテントサイトに車の乗り入れが出来る「オートキャンプ」というものを善しとせず、「男子たるもの、荷物は運べ!」みたいな謎の風潮があった。いやうちの一家半分女子だけどさ。でこの御座松キャンプ場というのは川をはさんだ南北両側にサイトがあり、車両乗り入れができるのは北側サイトのみ。我が家はもちろん南側にテントを張る。11月という季節もあって、敷地内には管理者はおろか我々一家のほかに人っこ一人いない。吊り橋を渡った林の中に、ぽつんとひとつ、テントを張る。そこで我々のキャンプが始まったのだ。
11月の長野だ、とにかく寒い。暖を取るべく、一家は模索する。そこへ、次男坊が巨大な枯れ木を引きずってくる。そこらへんに転がっていたドラム缶にその枯れ木をブチ込み、火をおこす。薄暗い林の中、高く立ち上る炎と、バチバチと音を立てて舞い上がる火の粉。大きな木の枝を丸ごとブチ込んでいるので、かなり豪快な焚き火である。他に利用者がいないからできた芸当だよな。テントサイトの雰囲気のよさもさることながら、この焚き火の印象があまりにも強烈で、そのワイルド感からなのか、とにかく素晴らしいキャンプだったと後に長く語り継がれることとなったのだ。
そして去年。父も母もとっくに還暦をむかえ、子供たちのうち誰かが家庭を持ってもおかしくないような年齢になってきているが、そんな気配は微塵も感じられないのが我が家である。そんな大人6人で連れ立って、またキャンプに行こうではないか、そうあの御座松にもう一度行こうじゃないか、という企画が持ち上がった。でも、結局全員の予定を合わせることができず、福島で父上を拾って新潟に洗濯機運んで焼肉をする、という謎の家族旅行が催されたわけだが、もういちど御座松に行きたいなぁ。と、11月の連休にあっておもうのであった。
というわけで、本日は御座松ツーリング。場所的には駒ヶ根のあたり。なんか・・・とてもいいツーリングになった。長野曇りとかいってたくせにめっちゃ天気いいし。朝5時前に家を出て、6時間ひたすら下道を走る。大きな道路から外れ、キャンプ場に至る道は林道で、枯れた松の針葉が大量に落ちていてすごい怖かった。けど、御座松に着いた途端、そんなの吹っ飛んだ。あああ、御座松だよ・・・と声に出してしまった。川で遊んでたら足を滑らせてこける。手を擦りむいた。落ちなくてよかった・・・。吊り橋を渡ってテントを張った場所に行ってみる。うわあ、あのときと同じだ。当時の光景がありありと浮かぶようだ。ほんとはサクっと見て帰ってくるつもりだったんだけど、もう帰りの中央道が渋滞しようがかまわん。心ゆくまで遊んできた。なんか、すごい楽しかった・・・。帰りの中央道も、やたらと景色が良くて、天気もよくて、前方にずっと富士山が聳えていて、なんかもうね、今日、行ってほんとうによかった。ほんとうに。
また家族でキャンプにいきたいなぁ。