読書」カテゴリーアーカイブ

赤ちゃんと脳科学

赤ちゃんと脳科学ようやく本を読む余裕がでてきた。というわけで、小西行郎「赤ちゃんと脳科学」。脳科学の知見から、近年の発達段階を無視した過剰な早期教育に警鐘を鳴らす。科学的に育児を検証し直し、幸せな人間に育てる為の「普通」の育児の重要性を説く。

某掲示板で、子供にテレビを見せることの是非についての書き込みがあり、そこで紹介されていた本。テレビが子供に与える影響については第5章で詳しく書かれており、それも興味深いものだったけど、それ以上に本書を通して伝えんとする著者の考えに共感した。子供の発達を楽しみ、育児を通して親子が理解し合い、そして夫婦がお互いを高め合う。そんな普通の育児こそが大事なんだなと。当たり前のことのようだけど、溢れる情報の波にのまれて踊らされてる部分も大いにあるとおもう。子供を幅広く見る姿勢を忘れずに、その発達を楽しみながら日々過ごしていきたい。

子どもへのまなざし

子どもへのまなざし” width=“82” height=“110そういや妊娠・出産にまつわる本は何一つ読んでいなかった。そういった類いの本を読むという思考そのものが欠落していた。で、そんなわたくしに友人が貸してくれたのが、佐々木正美「子どもへのまなざし」。育児書を読む、という思考も欠落していたので、いやはや感謝ですな。

まあ教育も宗教みたいなもんで何を信じるかは人それぞれだけど、ひとつの指針として大いに参考になった。果たしてわたしにこんなふうに理想的な子育てができるのだろうか、いやたぶんできないだろうw 頭ではわかってても、なかなか実行するのって難しいもの。でも、意識するきっかけにはなったはず。いい本なので、改めて自分で購入。子育てに悩んだ時に開くことになりそう。

父・こんなこと

父・こんなことそういえば去年の8月は吉村昭の「冷い夏、熱い夏」だった。で、今年はこれ。幸田文「父・こんなこと」。父である幸田露伴の闘病と、死に至る日々の記録。

これ読みながら、自分も父上の死への記録を書いたもんだけど、幸田文はどんな気持ちでこの文章を書き留めていったんだろうなぁ、などとおもった。偉大なる文豪・幸田露伴である父、だけど自分にとっては父は父。そんなふたりの関係もじんわりしみる。昭和初期の生活の様子が鮮やかに描かれていて、そういうのも楽しい。文章も美しい。

こうして新地名は誕生した!

こうして新地名は誕生した! (ベスト新書)子供の名前の次は地名。てことで、楠原佑介「こうして新地名は誕生した!」。平成の大合併で誕生したおかしな地名を検証する。

地名に限ったことではないが、最近のなんでもかんでも平仮名表記する風潮が気に食わない。地名で言えば、さいたま市だの、つくばみらい市だの、かすみがうら市だの、間抜け極まりない。そんな平仮名地名の他、合併によってできた新しい地名にはおかしなものがたくさんある。この著者の主張は「中世以前からある地名じゃないとだめ」という非常に保守的なもの。まあ何もそこまで厳密にこだわらなくても・・・とおもう部分もあるけど、わけわからん地名になってしまうよりはマシというもの。破談になった「南セントレア市」がクソだってのは誰が見てもわかるけど、山梨県の「北杜市」なんてのは一見問題なさそうだけど、著者に言わせればトンデモ地名だそうで、言われてみればなるほどとおもったりもする。まあ何にしても、伝統的な由緒ある地名がちゃんと残っていってくれることを切に願うばかり。

子供の名前が危ない

子供の名前が危ない (ベスト新書)そろそろ太郎の名前を考え始めてもいいんじゃないかい。男の子だったらつけたいのが決まってたんだけど(さすがに「太郎」ではない)、どうも女の子のようなので女の子の名前も考えなくてはならぬ。とはいえわたしゃもう圭子しか思い浮かばん。苗字と合わせたときの字面もいいし、落ち着いた感じでいいとおもうんだけど、「子」がつく名前は古いとか言うし(わたし「子」つけたいんですけど!)、かといって何か案を出してくるでもないし、なんなのなんなのもう。今時の名前がどうにもしっくりこなくて、なんだかなぁとおもいつつ手に取ったところの、牧野恭仁雄「子供の名前が危ない」

いわゆる DQN ネームが増えており、最近は facebook なんかでも昔の同級生の子供が「ああ・・・」ってかんじの名前だったりすることも多々あるわけだけど(笑)、そういう本書でいうところの珍奇ネームをつける親をただのバカとして片付けるのではなく、なぜそういう名前をつけようとするのかという心理を、難読名をもつ自らの体験を交えながら考察している。名前に表れる世相というのもなるほどねぇとおもうところもあり、なかなかおもしろかった。

名前にあらわれる世相とは、「その時代に強く求められながらも、手に入れ難いもの」

手紙

手紙犯罪加害者の家族の話ということでどこかで見かけて積んであった、東野圭吾「手紙」。強盗殺人罪で服役中の兄を持つ弟が、自分は何もしていないのに犯罪者の弟というだけで社会の中で理不尽な差別を受け続ける。その兄から、獄中から毎月手紙が届く。

作中に登場する人物たちはものすごく嫌なやつだとか悪人だとかはいなくて、みんなごく普通の人だ。だけど、だからこそ、当たり障りない程度の距離をおく。その境遇には同情はするけれど、犯罪加害者の家族にあえて深く関わろうとしないというのは、当然といえば当然なのかもしれない。勤め先の社長の「差別は当然」という言葉が突き刺さる。冷たいようだけど、でもこれってすごく現実的だよなぁとおもった。

差別はね、当然なんだよ。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる―すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね。

終着駅殺人事件

終着駅(ターミナル)殺人事件先月のタモリカレー会の際、くもさんちで延々テレビ見てたわけだけど、その時やっていた西村京太郎サスペンス。都合よすぎwww ベタすぎる展開www とかなんとかツッコミ入れつつも面白くて真剣に見入っていたのもまた事実。で、原著を読んでみましょうかねってことで、西村京太郎「終着駅殺人事件」である。

基本的なストーリーはドラマと同じだけど、1980年の作品であるということと、ドラマにするに当たって変えたであろう設定いろいろで、ちょいちょい違ってたのでそれもまた楽しめた。西村京太郎って今回はじめて読んだんだけど、なんか無駄に読点が多くてはじめの方すごいイラッとした。読んでるうちに慣れたけど。にしても、ドラマ同様ツッコミどころ満載というかなんというか・・・もっと緻密に組み立てられたミステリっていくらでもあるよね、みたいな。。まああれだ、通勤電車の暇つぶしに最適、ってとこかしらねw

全国アホ・バカ分布考

全国アホ・バカ分布考 ― はるかなる言葉の旅路蝸牛考を読んだ流れで買って積んでおいた松本修「全国アホ・バカ分布考 ― はるかなる言葉の旅路」。先日考証要集を読んでいたらこの本がチラッと登場していたもんで本棚から引っ張り出してきた次第。大阪はアホ、東京はバカ。その境界線はどこなんだ? というところからはじまって、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。そして最終的にはアホとバカの語源を探るところに至る。

言語地理学ってほんと面白いなー。マスコミ人である著者に対して、本業の学者の人たちが真摯に対応してるのがなんかいいなとおもった。あと序盤、「探偵!ナイトスクープ」の番組内で北野誠が一軒一軒聞き込みをしてアホとバカの境界を突き止めていたけど、あれを見てわたしも柏餅のみそあんの境界線を探す旅をいつか実行しなければならぬ、という気持ちを新たにした。ああ、そろそろ柏餅出てくるかな。

オートバイ

オートバイ今月いろいろあってほとんど本読んでない。。で、たぶん Amazon で「こんな本も買っています」で出てきててそのまんまのタイトルに導かれるようにして買ったような気がするところの A.ピエール・ド・マンディアルグ「オートバイ」

若い女がレーシングスーツに身を包み、ハーレーに跨がり国境を超えて愛人の元へと早朝のアウトバーンを突っ走る、みたいな話。主人公レベッカ、峰不二子を彷彿とさせるかとおもいきや、胸は小さいらしい。ま、ストーリーの内容はともかく(笑)、バイクで走る疾走感が気持ちいい。ああ、最近バイク乗ってない・・・バイク・・・バイク乗りたい・・・・・

新選組血風録

新選組血風録年末年始にかけて、個人的新選組祭りが開催されていた。日本史がからっきしダメなわたくしは司馬遼太郎「燃えよ剣」で基礎教養(笑)と大まかな流れを摑み、浅田次郎「壬生義士伝」でボロクソに泣いて、新選組ものの古典と言われる子母澤寛の三部作に至る。そしてこちら、司馬遼太郎「新選組血風録」。「燃えよ剣」が本編ならば、これは言わばサイドストーリー的なもの。幹部から平隊士まで、いろんな新選組隊士のエピソードが集められた短篇集。血なまぐさい時代にあって、人間味あふれる人物たちに魅了される。井上源三郎とかいいオジサンだ。るろうに剣心で育った身としては、斎藤一はもうあの斎藤一のイメージしかないし、沖田総司も瀬田宗次郎に変換されちゃってるんだけど(笑)、でもやっぱいいキャラだ。

さて、新選組ものばかり読んでいてすっかり幕府側になってしまったわたくし、薩摩長州土佐キーッ! みたいになっとりますが、ぼちぼち竜馬がゆくでも読みますかねw