なんか育児書とか読んだほうがいいのかなぁとおもい、育児書の定番であるらしいこちら。上中下巻あってこれは中、生後5ヶ月から1歳半までのことを書いている。その月齢に達するごとに少しずつ読んでる。
現代からすると情報が古い部分もかなりあるんだけど、でも子と向き合う育児の本質は今も昔も変わらないだろうし、肩肘張らない感じが実にわたしによく合っている。今はネットで検索すればなんでも出てくるからそんなに困ることはないだろうけど、昭和のお母さんたちはこういう本とかで知識を得たのかな、とかおもったり。
iBooks でいろいろダウンロードしてて、そういえば電子書籍版がフリーになってたんだってことで、佐藤秀峰「ブラックジャックによろしく」。
これ、昔途中まで友達に借りて読んでた。どこで止まってたかって、がん編だったんだ。 父上が死ぬ時のことをすごく思い出した。あの時どんな気持ちだったのか、未だにわからないけど。日本の医療の実情がよくわかるし、作者がこの作品を無料で公開しているのもすごく意味があるんだろうな。あと NICU 編はコウノドリに通じるものがあった。
また本読んでなくて漫画。新刊が出ていることを友人の tweet で知り、本屋へ。よしながふみ「きのう何食べた?」。ついこないだ10巻が出たような気がしてたけど、気づけばもう11巻。
おいなりさん食べたーい。肉巻きはごぼうでしょー。茶碗蒸ししばらく作ってないな作ろう。シロさんち、食費を2人で25000円から3万に値上げした。あー、ですよねーーー。我が家も増税だの円安だので物の値段がどんどん上がって、もう耐えきれずに予算値上げしたわ。まあ太郎もめっちゃ食べるようになってるし、当然っちゃ当然。でもやっぱりショックだわなー。給料は上がらないのにーー。ああ、そして光熱費のかかる季節がやってきましたよ。ガス代さっそくググっと上がってましたよ。ストーブ使い始めたら・・・いやもういいんだ、冬はしょうがないんだ。諦めよう。
あれ? 本の話してたんじゃなかったっけ・・・
最近また本読んでない。ので、ついに絵本になってしまったw 義妹が太郎の誕生日に絵本を買ってくれるというので、友人がオススメしていた てづかあけみ「はじめてのうちゅうえほん」をリクエスト。太郎にはまだ早いかなとおもったけど、自分が欲しくて選んだw
小学校の理科でやるようなことがかわいい絵で説明されているんだけど、ちょこちょこ「え、そうだったの」みたいな情報があって知識の虫食いに気づいたり。冥王星が惑星から外れているのが時代の差だねぇ。宇宙のロマンを感じて知的好奇心をくすぐる楽しい絵本。これのシリーズいろいろ出てるので集めたい。こんなの読みつつ理科好きの少年になってくれるといいなぁ。
江古田ちゃんの作者の育児エッセイが文庫になっている。ちょっと読んでみたいよねってことで、瀧波ユカリ「はるまき日記」。
まずおもったのが、あれ、四コマ漫画じゃないんだ、ということ。文章もいいけど、やっぱり漫画で読みたかったなというのが正直なところ。でもさらりと読めるので太郎との生活のちょっとした隙間時間に読むにはいい感じだった。赤子あるあるも大いに共感。
そしてはるまき6ヶ月の2011年3月11日、あの地震、そして原発。著者は東京を脱出、生まれ故郷でもある北海道に移住した。太郎はそれ以後の世界に生まれてきたから今はもう普通にここで生活してるけど、もしあの時に太郎が生まれていたらわたしはどうしていただろう。
この本わりと賛否あるみたいで、まあちょいちょい引っかかるところはあるけど普通に楽しめた。あと著者紹介のとこで気づいたけど、瀧波ユカリって日芸なのね。しかも写真学科。だから江古田ちゃんでも写真学生のヌードモデルのネタとかあったのね〜と納得。
母方の祖母が若い頃に鈴木鎮一の邸宅で奉公をしてたことがあるらしい。わたしはあまり聞いた覚えがないんだけど、兄がその話をたまに聞いたらしい。多くの世界的なヴァイオリニストを育てたスズキメソードの創始者であり教育論者ということで、どれひとつその著書でも読んでみようか。てなわけで鈴木鎮一「愛に生きる」。
「能力は生まれつきではなく、育てるもの」という教育論。正しく努力すれば、どの子もちゃんと能力は育つという。子供の教育のひとつのヒントになるかとおもって手に取ったけど、それはつまり親である自分がどう行動するかっていうこと。引き取った豊田耕児少年の好ましくない動作を改めさせるために、家の者がもっとよい行動、よい作法の生活をするようにしたという話。人を変えるには先ず自分が変わらなければならない、なんかどこかでも聞いたような話だけどそういうことなんだろう。
あと鈴木鎮一という人のことをよく知らなかったけど、アインシュタインと親交があったり(!)、なんかいろいろすぎょイ。そんな人の家で祖母が働いていたってのも半ば信じがたいけど、晩年認知症でわけわからんくなっててもピアノを弾いたり歌を歌ったりする祖母のあの音楽的な部分は、若い頃のこの家での経験も大きく影響しているのかもな、とおもったりした。
とりあえずここ最近は、毎日太郎にピアノ弾いて聞かせてる。わたしのヘタクソな演奏では正しい能力が育たない気もするけど、わたしが弾いてるのみて太郎が自発的にやりたいっておもってくれるようになればいいなと。きっとそれが才能の第一段階となるはず。
TL に流れてきた近藤聡乃「ニューヨークで考え中」。近藤聡乃といえば、「電車かもしれない」。このアニメーション、大学の授業で紹介されてすごい好きだった(このブログの黎明期にも書いたような)。ていうかこの方の作品てそれくらいしか知らなかったんだけど、イラスト、アニメーション、漫画といろいろやってるアーティストで、現在ニューヨーク在住だというのもはじめて知った。
というわけでポチってみたところのこのエッセイ漫画。ニューヨークでの生活なのに、なんだかすごく身近に感じるから不思議。穏やかな日常を綴る中での適度な力の抜け具合とか、なんというか地味な感じがなんかすごくしっくりくるかんじ。なんかこの人いいなぁ。海外生活って昔から憧れがあるけど、するなら絶対ヨーロッパ! って思ってたけど、ニューヨークもいいなぁ。いやまあ、そんな予定これっぽっちもないけどさw 靴をほめられる話が好きだ。
江古田ちゃんが完結していることに今頃気づいた。てなわけで、瀧波ユカリ「臨死!! 江古田ちゃん」8巻、最終巻である。10年連載してたらしい。江古田ちゃんは24歳なんだけど、友人に主人公がぷちともっぽいと言われて買ってみた当時はまだ年齢も近かったけど、だいぶ離れたなぁw 最後の「脳裏に顔がよぎるとうわっとなる段階」がわかりすぎて泣ける。早くどーでもよくなるといいね。江古田ちゃんは、江古田ちゃんももちろんいいんだけど、友人 M がまたいいんだよなぁ。こんなステキな友人がいたらいいな、そしてこんなステキな誰かの友人でありたいな。
1年くらい前に買って積んであった夢枕獏「神々の山嶺」。カトマンドゥの街で買った古いカメラは、ジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかという登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの過去を追ううちに、羽生丈二という1人の男と出会う。
わたしには山の経験はないけど、それでも胸の内に熱い物がこみ上げる。何かを成し遂げる、ただそれだけのために人生の全てをかける、そんな男の姿があまりにも格好よくて。今のわたしは太郎のために生きるのが第一で今はそういう時期だってわかってるけど、ただなんとなく日々が過ぎていくんじゃなくて、何かしたいという気にならざるを得ない。
これ映画化されるんだね。観てみたいわ。
太郎に離乳食を与えるとき、「あーんして」って言うと口を開ける。もしや日本語通じた!? とかおもったけど、実際どうなんだろ。・・・といったところへよそのブログで見かけた今井むつみ「ことばの発達の謎を解く」。単語も文法も知らない赤ちゃんが母語を使いこなし、ことばを思考の道具として身につけて行くまでの過程をひもとく。
いやーこれすごいおもしろかった。子供が言葉を習得していく過程を実にわかりやすく解説している。言葉の学習が科学的思考の基礎になる、というのにすごく納得。また、「意味のシステム」を構築していく言語学習の過程が、大人になってからの外国語を習得する際のヒントにもなる。言葉は、子供が自分で考えて自分で習得して行くしかない。それを手助けするために大人ができることは、上質なインプット、つまり日常の中の気持ちを通じ合わせた丁寧な対話を与えること。今目の前にいる小さな人のためにも、ぜひ心がけたいものだ。いい時に読んだなぁ。