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オンネトー

突然あたまにある単語がぽーんと浮かんで、あれなんだっけなんだっけ○○ってなんだっけぬおおおおお思い出せんなんだっけなんだっけ、って一日中悩むことがかつてはあったものだけど、今は Google 先生にお尋ねすれば一発だから、便利な世の中になったもんだなぁとおもう反面、ちょっぴり味気ないなぁとおもったりもする。

で今日あたまに浮かんだのは「オンネトー」。
なんか「オンネトーの戦い」とかそんなかんじかとおもったんだけど、じぇんじぇん違いました。

仕事納め

仕事納めという言葉が嫌いである。
どうせあと数日たてばまた仕事なんだ。
ちっとも納まっちゃいない。
どうせなら永遠に納まっていたい。
そして南フランスの田舎町以下略。

恩着せがましいサンタ

キートン山田のナレーションによって、わたしは「恩着せがましい」という日本語を覚えた。

ハーイ、ワタシがサンタデース!
トホーイ、クニかーら、ヤッテキマシータ!
ノノノノノー、コノ町内だけトクベツデース。

恩着せがましいサンタである。

漢字と日本人

漢字と日本人高島俊男「漢字と日本人」。たいへんおもしろく読んだ。日本語のことを改めて知ることができた気がする。

日本語は漢字の裏付けがなければ意味が確定しない、文字が言語の実体なのだ。わたしは会話の流れの中で時折パッと聞いて意味のとれない単語が出てくると、「それどういう字?」って聞いたりする。まさに、だ。しかし大抵は前後の文脈から判断して、「その語を耳にした刹那、瞬間的に、その正しい一語の文字が脳中に出現して、相手の発言をあやまりなくとらえる」のである。それも、意識することなくごく自然に。

そう、無意識であるがゆえに、漢字がいかに重要な役割を担っているかに気づかず、漢字を廃止しようという動きがでてきた。しかし明治維新後の日本語というのは西洋語・西洋の概念を翻訳したものが大多数だという。その中で、漢字がなければ(というか漢字に訳された西洋語や西洋の概念がなければ)政治も産業も学術も教育も動かなかったのだ。

漢字はもともと日本語をあらわすための文字ではないから、漢字を使うのは無理がある部分があるけれど、これまでずっと使ってきた以上もう漢字なしには日本語は機能しない、うまくつきあっていくしかないのだ、というのが著者の主張。わたしはわりと漢字の使い方を意識するんだけど、この本読んでその意識を新たにした。

言語というのは、その言語を話す種族の、世界の切りとりかたの体系である。だから話すことばによって世界のありようがことなる。言語は思想そのものなのだ。

非実在老人

今日ひろったことばは「非実在老人」。

なんかこのことばすごいツボったんだけど。なんというかもう哲学的ですらある。本質存在に対する現実存在の優位。そうそれは実存主義。では非実在老人とは何なのか? 本質的に存在しているのか?

もはや年金の不正受給とかそんな低俗なこと超越してる。適当に難しいっぽくかんがえたくなることばです。素敵です。

彼女は言葉で記憶する

以前から、ときどき覗きにいくブログがある。RSS リーダには登録していない。でもふと読みたくなるときがある。そしてブラウザのアドレスバーに URL を直打ちして読みに行く。

彼女の書く文章がとても好きだ。かなりの読書家なので、それに裏打ちされた文章力はもちろんのこと、彼女自身にとても惹かれてる。んだとおもう。一度だけお目にかかったことがあるけど、もう私のことなんか覚えていないだろうなぁ。

そのブログには写真がない。旅行などの記事を上げても、写真はほとんど載せていない。だけどそれがかえっていいような気がしていた。文章から広がるから。

今日なんとなく過去ログを眺めていたら、少しだけど写真があった。それから彼女は昔、いつも一眼レフをぶらさげて写真を撮っていたということを知った。そして撮らなくなった経緯を知り、なんだかとっても納得すると同時に、彼女の撮る写真をもっと見てみたいとおもった。彼女はどんなふうにファインダー越しの世界を切り取っただろう。どんな景色を見て、どんな人を見て、シャッターを切ったんだろう。

でも、それはおそらく見ることはできない。彼女は言葉で記憶する。わたしは・・・いろんなもので記憶することにする。今までとおなじ。

しあわせスタンプ

ニャンコのあしあと肉球マーク。

車のボンネット、バイクのシート、かたまる前のコンクリート、床にベッドにテーブルに、ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたって・・・ぐおおおおらぁああああネコめぇえええ!!!

ってなるかとおもいきや、そうでもないんだな。憎めないというかなんというか・・・カワイイんだもん。

あの肉球マークを、しあわせスタンプというらしい。なんかいいな。しあわせスタンプ。

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