帰ったら、セネガル国歌を歌ってやる。

つぶれてたらどうする? なんて言って笑っていたのに、早稲田にあるその古びた屋内テニスコートは思いの外繁盛しているようだった。ごくたまに打ちたくなるとふらりと行ったりするのだが、今日は雨がふっていることで屋内施設はかえって人が集中してしまい、順番待ちの人であふれている。読みかけの文庫本を持ってこなかったことをひどく後悔した。仕方なくその待合室に置いてあった「寄生獣」を手に取るとこれがまたえらいおもしろく、結局ふたりしてそれを読みふけって終わってしまい、ラケットも着替えもタオルも、ただ荷物になるだけで何の意味もなさなかった。

友人は飲み会があるからと笹塚へ向かい、わたしは早稲田から江古田へ向かって新目白通りを歩く。昔よく自転車で通った道だ。大した距離ではないが、こんな冷たい雨が何の遠慮もなくざあざあと降っているといささか挫けそうになる。妹からのお下がり(というか、「お上がり」か?)のジーンズは少しサイズが大きく、今日はヒールも低いので、裾を盛大に引きずっている。雨が染みてじっとりと重たい。

美容院の予約を入れた時刻にはまだだいぶ早い時間に江古田にたどり着く。時間を潰すためにブックオフで適当に100円の文庫本を2冊買い、ミスタードーナツで延々コーヒーをおかわりしながら読む。1冊はタイトル負けというか、大して面白くもなく読み終わり、2冊目は鴻上尚史のエッセイで、こちらはまあまあ。まあまあというのは、この人のエッセイは他にもっと面白いのがあったとおもうから、ということで。

2冊目を1/3ほど読んだところでいい時間になったので、美容院へ。今日はどうしても髪を切りたかった。バッサリ切って気分転換したい衝動にも駆られたが、せっかく伸ばした長い髪を切る勇気が出ず、かといってゆるふわパーマ(笑)をかける経済力もなく、結局毛先を揃える程度に留まった。それでも傷んだ毛先を切り揃えるのは、自分の中に混沌と渦巻く薄汚いものだとかモヤモヤしたものだとかを落としていくようで、とても気分がすっきりする。前髪を作ろうかともおもったが、そうするとこまめに美容院に通わなくてはならないのでやめておいた。美容師さんも、そのへんをよく察していてくれている。さすが長年付き合った松本さん(仮名)である。

大江戸線で帰ってこようかともおもったが、池袋に出てごはんを食べてから帰宅することにした。西武線はかつての黄色の面影を消し、車両も駅のサインなども、すべて青基調にシフトしていた。そういえば西武百貨店などは青だもんなぁ、などと考えてひとり合点するなどした。

写真展ハシゴ

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昨日にひき続き写真展。まずは銀座 RING CUBE で 3日から開催されている GR BLOG 写真展。RING CUBE に自分の写真が飾られているなんて、なんだか烏滸がましいような、照れくさいような、でもやっぱりうれしい。ニヤける。14日まで開催中ですので、銀座にお立ち寄りの際はぜひ。わたしの写真も3枚ほど出展されています。←宣伝(笑)。

リンゴ屋でふてくされたりした後、戸越銀座に移動。うめさん・あみちゃん・えもやんのお三方のグループ展 トウキョウレインボウ がおこなわれているフォトカノンへ。写真で描かれた虹はかわいいギャラリーのテイストともよく合って、とってもステキング。なにやらかわいくてオサレな女子がいっぱいおって、おじさんなんだか気恥ずかしかった(笑)。

ねこ 岩合光昭 写真展

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明日でもいいけど、今日行きたい。しかも自分の愛猫の写真をもってくと、会場に飾ってくれるうえに入場料も割引になるというではないか。素晴らしい。いそいそと我が愛しのネコ助先生の写真をプリントして懐に忍ばせ、生暖かい夕暮れの中自転車を駆る。目指すは日本橋三越である。

ねこ 岩合光昭 写真展 のことを知ったのは、ねこぐるいの人の tweetである。最近なにごとも twitter や tumblr が有用な情報源となっている。自分の全然知らないところから情報が流れ込んでくるから面白い。RSS リーダではこうはいかない。
まあそれはおいといて、ねこ。

作品数約250点という大充実のニャンコ天国、かわいすぎてひたすら悶絶。ああ、こういう表情するよね、こういう仕草するよね、ってかんじでみててほんと楽しい。会場で、お客さんたちみんなにこにこしてるんだよね。ネコはいいなぁ。ほんとうに。わたしも旅先で猫に出会うと必ず撮るけど、これからもその姿勢を崩さずに、もっといろんなネコたちの表情や仕草をとらえていきたい。

ああ、ネコ。猫はほんとにおもしろい。いまわたしのベッドで眠りこけている君は、何を思うのだろう。

廃漁村の男

とある廃漁村に超絶ワイルドな生活をしている男がいた。その男は自給自足しつつネズミとか虫とかそんなのと共生していた。頭髪は伸び放題で顔は薄汚れ、服装もボロ布を纏っている程度。だけど確かに現代人である。

そんな男に惹かれた1人の女がいた。彼女はその男の住む廃漁村に通うようになった。もともと人を受け入れないわけではないその男はすぐに彼女を好きになり、やがてふたりは恋人同士になった。

ある日彼女がいつものようにその男のところへ行くと、男はどこで拾ってきたのかボロボロのギターを弾いていた。それは弦がダルダルに緩んでいる上に1本は切れているような代物だった。にもかかわらず男の響かせる音は彼女の心を強く打ったのだった。

彼女はレコーディングをすすめ、男はわけがわからないながらも素直に従った。そして発売されたレコードは世界中で売れまくり、ふたりは巨万の富を得た。

それでも男と女は廃漁村での生活を続けた。
ふたりはそれで幸せだった。

のちのジョン・レノンとオノ・ヨーコである。

・・・という夢をみた。意味不明。

上巳

来週冬復活の報を聞き愕然としておりますわたくしですこんばんは。なんてタイミングが悪いのでしょう悲しくて涙がちょちょぎれます。

さておひなさまの呪いも摩周湖の呪いもどうやらホントのようなので、とりあえずおひなさまのゴキゲンをとるためにコアラのマーチをお供えしました。そして今日中にしまいますこれで完璧であります。理想はウチのトーチャンの会社継いでくれる人なので、ハートのかたちのおひなさまどうかおねがいします。
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あとは霧に包まれて湖面の見えない状態の摩周湖を見なければいけません。北海道いくか。

墨汁と鉛筆削り

うちの母親の教育方針のひとつに、墨汁を使ってはいけないというのがあった。墨はするもの、墨汁なんぞ邪道である。という考えによるものだ。おそらく。授業では墨汁を使うことが前提とされ、墨をする時間など設けられていない。小学生の私は、書道の授業のある日の朝、せっせと墨をすって登校したものだ。しかしながら、どんなにがんばってすっても墨汁を使っている他のクラスメイトに比べてわたしの墨は若干薄く、それが妙に恥ずかしいことのように思えた。

似たようなことで、鉛筆はナイフで削らなければならない、というのもあった。鉛筆削るのに機械を使うなんぞ邪道である。という考えによるものだ。おそらく。小学生の私は、そりゃもう器用にナイフを使って鉛筆を削ったものだ。しかしながら、どんなにがんばってきれいに削っても、鉛筆削りで削ったものとの差は歴然たるもので、それもまた恥ずかしいことのように思えた。

それでも、がんばったかいあってか、なくてか、オウテカ、わりと書道や硬筆はうまいほうで、よく表彰されたりしていた。(今となっては見る影もないが)

中学生になり、シャープペンシルを使うようになり、鉛筆は削らなくなった。高校生になり、書道の授業が必須科目でなくなり、墨をすらなくなった。

高校三年大学受験の冬、先生が、入試の時は鉛筆を使うといい、と言っていた。で、休み時間には鉛筆削れと。ナイフで削れと。黙々と鉛筆を削ることで、精神統一が図れるからとてもいいのだ、と。そういえば母上も「墨をすると集中するでしょ」みたいなことを言っていた。わたしはここではじめて、なんとなく母の教育方針に合点がいった気がした。

まあ、ただ単に吝嗇だっただけかもしんないけど。

冬よいずこ

冬はどこへいってしまったのか。湯沢も雪ではなく、雨。わかってはいたけどへこむわ。。。

でも今日の朝雪が降った。いまにも雨になってしまいそうな雪だったけどたしかに雪だった。おそらくもう今年最後になるであろう雪の写真を撮った。でもいいの撮れなかったな・・・しょんぼり。

夜すこし走ってすごくきもちよかった。明日からもう3月。バイクにシフトだな
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フィギュアは何がいいって、腕。ジャンプして着地したときの腕がイイ。なんていうのかな言葉で言い表せないんだけど、とにかく着地した時こうしなやかに伸びるあの感じ、あれがタマラン見ててちょう気持ちいい。腕だね腕着地したときの腕。ああいいわー。ホントいいわー。

採点競技ってのはなんか難しいね。あちこちでイロイロ言われてるけど、やっぱりまおたんに金とってほしかったけど、まあそれはそれとしてとにかくみんなおつかれさまってことだ。