本日はちょいと JavaScript と格闘するなどした。わたし JavaScript じぇんじぇんわからんのだけど、もちろん Google 先生には質問しまくるんだけど、じーーーーっとコード見てるといろんなものが見えてきて、ふとした瞬間に唐突に正解が導き出されたりして、人間やればできるもんだなぁとおもった。
脳みそ使うのは気もちいいね。
本日はちょいと JavaScript と格闘するなどした。わたし JavaScript じぇんじぇんわからんのだけど、もちろん Google 先生には質問しまくるんだけど、じーーーーっとコード見てるといろんなものが見えてきて、ふとした瞬間に唐突に正解が導き出されたりして、人間やればできるもんだなぁとおもった。
脳みそ使うのは気もちいいね。

今日未明の林檎祭、ストリーミング中継するということでライブで見たかったんだが、昨夜うっかり仮眠とるの忘れておって、23時の時点で「2時に起きる!」と念じてベッドに入ったわけだが、アラームをセットしていないあたり起きる気なんてさらさらないわけで、つまりまあ、起きたら朝だったと。まあこういうわけですね。
まず iPod ファミリーのアップデート。shuffle は丸いボタンが復活、あのネクタイピンみたいのじゃなくすもんね。nano もタッチパネル、クリップついた。iPod touch は薄いね。classic はお得。とりあえずアップルはカラーバリエーション展開する際は常に赤を欠かさないでほしい。赤!赤!ふおおお!
Apple TV はわたしこれ未だにどうやって使えばいいのかわからん。テレビないし。あとは音楽 SNS Ping というもの。今さら SNS かよって気もするんだが、どうなんだろ。 Last.fm や MySpace とはまた違う何かがあるのかな。とりあえず設定してみたけど(ウェブサービス好きの血)、よくわからん。iTunes 10 のアイコンが若干アレなのは、アイコン職人さんが腕をふるうためだってことでひとつw
とうもろこしゆでた
あまくておいしい
ひとりでまるまる1本たべたらおなかいっぱいになった
もやしにつづいて貧乏のよき味方になってくれそうだ
9月はますます粗食で参る所存
カード使わないぞー(ガソリンと ETC 除く)
今日使っちゃったけどー(明日から本気出す)
懸垂式のモノレールっつったら、湘南モノレールだよなぁ。ともって wiki ったら、なんと上野公園内に懸垂式のモノレールが走ってる。えええええ知らなかった。 こんど乗ってみよう・・・。
ちなみにわたくし小学生の頃スポーツテストの斜め懸垂がちょう得意でした。
バーベキュー。今夏はバーベキュー多い。
ビールがうまいー
千葉県市原市・五井駅。JR のホームからとなりのホームにうつると、とたんにそこは古めかしい雰囲気を漂わせる。1両、または2両編成のそのオレンジ色の電車は、小湊鉄道線。
ホームで1日乗車券を購入し、いざ小湊鉄道の旅。駅舎や車両のに古くからの雰囲気を残していて、切符を見に来る車掌さん(なぜかみんな女性だった)の手にはなんともなつかしいハサミ。ゆったりとレトロな電車に揺られつつ、途中下車しつつ、ぶらぶらと散歩。車内でたべたシャビイ(正確にはサクレのだが)はひときわおいしく感じられた。
前回の印西牧の原では「田舎は田舎だけどなんかちがう・・・」だったのだが、今日はまさに思い描いていたのどかな田舎風景がつづく。日差しは強いけれど、風もあって木陰にはいれば涼しい。電車は1時間に1本とかそんなもんで、ずいぶんと待ち時間が長い場面もあったけど、まあなんとか。久しぶりにたくさん写真を撮った。

高島俊男「漢字と日本人」。たいへんおもしろく読んだ。日本語のことを改めて知ることができた気がする。
日本語は漢字の裏付けがなければ意味が確定しない、文字が言語の実体なのだ。わたしは会話の流れの中で時折パッと聞いて意味のとれない単語が出てくると、「それどういう字?」って聞いたりする。まさに、だ。しかし大抵は前後の文脈から判断して、「その語を耳にした刹那、瞬間的に、その正しい一語の文字が脳中に出現して、相手の発言をあやまりなくとらえる」のである。それも、意識することなくごく自然に。
そう、無意識であるがゆえに、漢字がいかに重要な役割を担っているかに気づかず、漢字を廃止しようという動きがでてきた。しかし明治維新後の日本語というのは西洋語・西洋の概念を翻訳したものが大多数だという。その中で、漢字がなければ(というか漢字に訳された西洋語や西洋の概念がなければ)政治も産業も学術も教育も動かなかったのだ。
漢字はもともと日本語をあらわすための文字ではないから、漢字を使うのは無理がある部分があるけれど、これまでずっと使ってきた以上もう漢字なしには日本語は機能しない、うまくつきあっていくしかないのだ、というのが著者の主張。わたしはわりと漢字の使い方を意識するんだけど、この本読んでその意識を新たにした。
言語というのは、その言語を話す種族の、世界の切りとりかたの体系である。だから話すことばによって世界のありようがことなる。言語は思想そのものなのだ。

古本を買ったら、中に美術展のチケットがはさまっていた。「バルビゾン派の画家たち展」、1998年3月、東京大丸にて。おそらくしおりに使っていたんだろうけど、なんかこういうのってうれしい。前の所有者がちょっと見えた気がして、わくわくする。
まあはさまっていたのが美術展のチケットだったからよかったようなもので、これがお菓子のカスとかだったりすると話は180度変わってきてしまうわけだが。