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深呼吸する惑星

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第三舞台の「深呼吸する惑星」を観てきた。鴻上尚史のエッセイやなんかは読んでるんだけど、舞台を観るのはこれがはじめて。今回第三舞台が封印解除と同時に解散ということで、これは是が非でも観に行かねばとおもい、死ぬ気でチケット争奪戦を勝ち抜き、わたしにとって最初で最後になる第三舞台の公演に行ってきた。

舞台は遠い未来のとある惑星。その星は地球の支配下にあり、地球からの独立をしようとする運動家と地球支配下うまくやっていこうとする首相、地球から派遣された軍人や研究者といった人々によって物語は展開していく。
鴻上尚史の舞台をはじめて観たけど、舞台っぽいセリフ回しやダジャレあり、軽快に場面転換して突然大音量で音楽が流れて踊りだしたり、とエンターテイメント性も高くてすごく楽しかった。ストーリーの中に散りばめられた現在の日本が直面している問題についても考えさせられる。

役者陣について詳しい知識はないんだけど、みんなすごくいい演技をするなぁとおもう。あと、筧利夫って思ったより小さいんだなと(笑)。そんであんなに動ける人だったとは知らなかった。長野里美は軍人の役なんだけど、その身のこなしが板についててかっこよかった。ああいう立ち居振る舞いができるといいなぁ。わたしははじめてなのでわからないんだけど、着ぐるみとか、お決まりのネタなんだろうな。客席から、昔からのファンが本当に多いんだなというのをひしひしと感じた。

そして音楽がまたよくてね。導入でいきなり nonSectRadicals カバーの Behind the Mask とかズルすぎるわー。その他にもスピッツの 恋する凡人 とか斉藤和義の ずっと好きだった とかがつかわれててすごいテンション上がった。

第三舞台はもう観られないけど、またいろいろ観てみたくなった。

芸劇にて

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ノダマップ「ザ・キャラクター」観に来た。
画像投稿テスト中。。

* * *

うーん。。いまのわたしの精神状態に、この芝居はこたえた。いやわたしの精神状態関係ないんだけど、みてるのしんどかった。舞台の上でおこっていることを受け止めるだけの精神的余裕はなかった。そしてそれは、10数年前に現実に起こったことそのままだった。いま10数年前って書いたからああもうそんなに経つのかっておもうけど、その文字列から受ける印象よりももっと近い過去に起こったかんじがする。まだ過去になりきれていない過去。重くて、怖かった。

ホットペッパー、クーラー、 そしてお別れの挨拶

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なんとはなしに芝居が見たくなったところへ TL でチェルフィッチュの文字を見かけ、調べてみたら明日まで。急遽行くことに決めて、当日券取れますようにと願いながら急いで明治神宮前へ向かう。

過去に観たのに比べ、ずいぶんわかりやすかった。いつものように反復されるせりふやら若者的言葉遣い、そしてあの謎の動きで表現される。今回はそこに音楽が加わって、さらにはその音楽が前面に出てくる。日常の会話で描きながらも、なんだかコンテンポラリーダンスでも見ているかのような感じだった。すごくおもしろかった。

ところで昨日前置きで tortoise のことを書いたんだけど、その tortoise の音楽が使われていてうおおおっ、とおもった(笑)。あとジョン・ケージとコルトレーン、もうひとつは知らなかったな。音楽もすごくよかった。

クラフト、金魚、農業少女

まだ咳は出るものの、体調は97%くらいまで回復。病み上がりだからと約束の時間を遅めに設定してもらったのに、ずいぶん暖かいし天気もいいので出かけることにした。招待券をいただいていたので、丸ビルでおこなわれている日本クラフト展へ足を運ぶ。知った名前を発見する。いいデザインのものはいいなぁ。

池袋に移動、楽しいちんまり隊のお時間である。ジュンク堂で遊ぶなどし、夕日がきれいだというので西武百貨店の屋上へ行ってみる。が、なんか想像とちがう。壁に囲まれている。でも夕日は見えなかったが、金魚と戯れた。ずいぶん撮った。そして腹ごしらえを。「いくぶんおかゆに近い」という理由で魚介とトマトのリゾットを食す。おいしいけど、胃はまだ本調子ではないんだなぁとおもう。

そして本日のメインイベントは芸劇にて「農業少女」。悪くはないし楽しいんだけど、咳こんだりするのでそっちがどうにも気になってしまい集中できず。うーんよくわからなかった。難しく考えなくていいらしいけど。でも久しぶりに芝居が観られてよかったな。もっといろいろ観てみたい。多部未華子はむっちりしたかんじがいいかんじのお嬢さんですね。江本純子がおもしろかった。

終演後に寄った喫茶店が、店名が「巴里」なのに店内はなんだか怪しげなエスニックなんだかなんなんだかわからんけどとにかくギンギラギンなかんじでウケた。

NODA・MAP「パイパー」

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NODA・MAP「パイパー」を観にシアターコクーンにやってきた。
開演 3時間前だけど、既に当日券を求める人々の列ができとります。
楽しみ。

* * *

舞台は地球人が火星に移り住みはじめてから 900年後の火星。地球からの支援が途絶え食料は乏しく、荒廃の一途をたどっている。そこに住むフォボス・ダイモス姉妹(宮沢りえ・松たか子)とその父ワタナベ(橋爪功)。ワタナベのもとへやってきた若い女マトリョーシカ(佐藤江梨子)と彼女の 8歳の息子キム(大倉孝二)を交え、「死者のおはじき」と呼ばれる記憶装置で火星の過去を掘り起こしながら舞台は進んでいく。900年前、地球人が火星に移り住み始めた時は、人間を幸福にするための存在だった「パイパー」と呼ばれる生物?機械?人間?。パイパー値なるもので人々の幸福は数値化され、その数値の変動に一喜一憂する。

人の幸福なんて数値で測れるのか?
暴力・争いがなければそれで幸せか?
何を食べていいのかいけないのか?
極限状態で人が人である境界はあるのか?
滅亡していく世界で子孫を残す意味はあるのか?
伝えたいことだけ伝えるー歴史の改竄?
いろんなことを問いかけてくる。

過去をたどりながら、ついには妹ダイモスが知らなかった姉フォボスと母の過去を見ることになる。クライマックスで母と4歳のフォボスが荒廃した火星を放浪する情景、この松たか子と宮沢りえの掛け合いは鬼気迫るものがあった。おもわず涙が滲む。劇中に何度も繰り返された「希望も絶望も絵空事」。ラストには希望が現実のものとなりながらも、滅びゆく世界の中で再び繰り返されていく運命。

相変わらずの言葉遊びが重要な意味を帯びてくるかんじはたまらん。宮沢りえは妊娠 6ヶ月っておいおい大丈夫かいな、とおもわず心配してしまうほど迫力の演技。終始圧倒的な存在感を放っていた。今までもってた印象とえらい違った。松たか子は終盤母親役に切り替わってからがよかったなあ。強さ・逞しさが伝わってきた。個人的に橋爪功がなんかいいかんじだった。基本チャランポランなおっちゃんなんだけど、ここぞというとき醸し出す空気感はさすが。パイパーを演じるコンドルズもよかった。バレエでもコールド観るにはは2階席がいいのと同様、今回も2階席でよかったのかも、とかおもった。
音楽は主にクラシックの超有名曲を使っていた。あの場面でラフマニノフのピアノ協奏曲 2番とか、まあベタな気もするけど、でもやっぱ鳥肌いくら立てても足りないかんじ。

そういえばこの舞台に出てくる 3人の女性のうち 2人が妊娠したけど、唯一妊娠しなかった宮沢りえがいま妊娠 6ヶ月だってのもまたスゴい演出だなあとかおもった(笑)。あと、パイパーの腕が裂けちゃってる人もいたんだけど、あれはあーゆうもんなのか、それとも 2ヶ月の舞台で壊れてきちゃったのか、若干気になるところ(笑)。

素晴らしい舞台だった。もっかい観たいなぁ。

フリータイム

追加公演のチケットがとれたので、本日はチェルフィッチュ「フリータイム」。おもしろかったー。前回みたときは最初よくわかんなかったけど、今日はすんなり入っていけた。舞台セットが現代アートっぽい(笑)。わたしのフリータイムは、朝、出勤する準備を8時に終えて、そのあともっかいベッドに入って微睡む15分なのかなぁ、とか考えて、なんだか共感だった。あとあんま舞台とは関係ないのかもしれないが客入れの音楽がどれもかっこよかったなー。

NODA・MAP「キル」

シアターコクーンにて NODA・MAP「キル」観てきた。流れる言葉と舞台の躍動感に引き込まれた。あー、こーゆうのが芝居なんだなあと。舞台じゃないとできないなあっておもう瞬間が何度もあった。立ち見なんだけどあっという間の2時間だったな。

たぶんあとでもうちょっと加筆、の予定。だったのだが、まとめるのがメンドくなったので iChat から抜粋w

* * *

随所に現れる言葉遊びがおもしろくてね、だけどけっこう話の流れ的に重要だったりして、うまいなあとおもってみてた。重層的に意味が繋がっていくのが結構快感になるよね。ゲーノージンの人々もさ、テレビのイメージとぜんぜんちがくて、あー、ちゃんと役者なんだなーって、やっぱ華があるしさ、普通にそこに立ってるだけでも目がいったりとか、それってやっぱすごいことだね。そーゆうの見られるのってやっぱ舞台だよね。

NODA・MAP 番外公演「THE BEE」

20070801こないだの土曜日にシアタートラムで観てきた舞台。NODA・MAP 番外公演「THE BEE」ロンドンバージョン。

妻と息子を人質にとられた平凡なサラリーマン・イドは、その犯人オゴロの妻と息子を人質にとり、立てこもる。常に普通であるように生きていたイドが、妻子を人質に取られた普通の被害者を演じられず、ある瞬間から被害者から残虐な加害者へと姿を変え、報復の連鎖へと落ちて行く。

とりあえず、今までみた(といってもふたつだけだけど)芝居とは全然ちがう。なんてゆーか、わたしが「演劇」と聞いてイメージする舞台にいちばん近かった気がするな。なんとなく。いろいろな場面で芝居だからできること、っていうのをすごく感じた。物のつかいかたとか、場面や役の入れ替わりとか。男女が逆の役を演じているのもおもしろい。野田秀樹がオゴロの妻の役なんだけど、出てきたとき笑いが起こってた(笑)。でもそれが違和感なくなっていくし、逆にそのほうが刺激的だったり。

そういえばわたしが過去に見たふたつは音楽をまったく使わない舞台だったので、演劇での音楽のつかわれかたをはじめて観た。曲そのものがすんごい強烈だったののもあり、とても印象的。 だってハチャトウリアンの剣の舞にヘンな歌詞つけた曲なんだもん(笑)。調べてみると、オバ歌謡 というのらしい。ラストのところで蝶々夫人の曲もつかわれてて、それもすごく印象的だったな。オゴロの妻を犯し、子供の指を切る。美しい音楽に乗せて無言で繰り返される凄惨な情景が、きわめて日常的な生活の中に組み込まれてなんだか麻痺してくる。そんな中に象徴的に現れる蜂。ブーンという羽音だけ、っていうのがまた恐怖を煽る。

なんかまとまんないけど・・・とにかくこれ日本バージョンもみたかったなあ。とてもおもしろい(という表現が合ってるかは微妙だけど)舞台だった。野田秀樹の作品、また観てみたいな。

原作が筒井康隆「毟りあい」。読んでみよ。
傾いた世界 ― 自選ドタバタ傑作集〈2〉

泣いたら負けのにらめっこ

こまばアゴラ劇場で青年団の「東京ノート」というお芝居をみてきた。演劇って、マトモにというか自発的に観ようとおもって観たのはたぶん今回がはじめて。なんていうか、あの場の空気ってすごい不思議だった。すごくリアルで、なんか張りつめてて、そんで観客も同時に存在してる感じ。劇場が小さいからってのもあるのかなあ。

筋としては戦争のことがあったり、絵をみることについての描写があったりして、ものごとをみるということを考えさせられた。最後の方の「ちゃんと私を見て」っていう台詞の重さとか。泣いたら負けね、ってにらめっこをするの、ちょっと泣きそうになった。

たぶんこのお芝居って、観る人でいろんな感じ方をするんだろうなあ。おもしろかった!っていうのとはなんかちょっと違う気がするんだけど、おもしろかった。おもしろ・・・うーん、違うなあ(笑)。まあとにかく、もっといろんなの観てみたいなってすごくおもった。

あ、そういえば音楽が一切なかったな。