消えた八月

さて、私のピアノ伴奏屋歴はそういうわけで小学校から高校卒業までとなるわけだが、もう1人の伴奏屋の話を書いておきたい。私の兄である。彼の伴奏屋業は、ただ1度であった。

兄も3歳からピアノを習っておりかなり弾けるのだが、私と同様ずっと人前ではそれを明かさなかった。私は小学校5年の時に伴奏屋デビューを果たしてしまったが、兄はピアノを弾けることをひた隠しにしていた、のかよくわからないが、とにかく学校で弾くようなことは一切なかった。

ところが、中学3年の時、担任の先生に合唱祭のピアノをぜひやってほしいと頼まれたらしい。なぜその先生が兄がピアノを弾けることを知っていて、なおかつ彼に弾かせたがったのかは不明だが、とにかくその先生は兄に弾かせたかったらしい。中学3年生が歌う合唱曲ともなると、ピアノ伴奏もけっこう難しいものもあったりする。兄のクラスがやることになったのは「消えた八月」という、原爆をテーマにした曲。この選曲もその先生によるものであるらしい。難しいこの曲を見事に弾きこなす普段は目立たない小柄な男子生徒に、他の先生や生徒はさぞかし度肝を抜かれたことだろう。そもそも男子がピアノ伴奏をやることも珍しいのだ。

私はこの兄を見て、ああ、きっと私のクラスや学年にも実はもっと弾ける生徒がいて、あいついつもピアノで出てくるけどヘタクソだな、くらい思われてたのかも、と思わずにいられないのであった。兄がこのようなピアノ伴奏をするのはこの時が最初で最後だったが、高校で室内学部に入り、大学オーケストラ、そして現在のアマチュアオーケストラへと続いていく。楽器はピアノからチェロ、コントラバスと変わっていったが、ピアノはずっと弾いている。やはり音楽の基本なのだ。

まあそんなこともあってこの「消えた八月」、中三では自分のクラスも歌いたいピアノやりたいとおもってたんだけど、誰一人賛同してくれる者はおらず、「ひとつの朝」に落ち着いたのであった。やりたかったなぁ。

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