今年の私は女運がいいというかなんというか。またとってもステキングな方にお会いしちゃった。嬉しいなー。ニャンコと友人に感謝。いろいろうまくいくといいな。
ところで薄々感じてはいたことですが、わたくしどうもネコ助にナメられているようです。これからはビシビシいこうとおもいます。ビシビシ。でももう手遅れかな。お腹の肉も手遅れなかんじだし。まいったねコリャ。
今年の私は女運がいいというかなんというか。またとってもステキングな方にお会いしちゃった。嬉しいなー。ニャンコと友人に感謝。いろいろうまくいくといいな。
ところで薄々感じてはいたことですが、わたくしどうもネコ助にナメられているようです。これからはビシビシいこうとおもいます。ビシビシ。でももう手遅れかな。お腹の肉も手遅れなかんじだし。まいったねコリャ。
大量の巨大な図面のコピーに疲れ果てる。
A1のコピー機ほすぃ・・・>会社
ある8月の暑い日に、迷い込んできた小さな子猫。ネコ助がやってきてから、今月1日でまる1年が経った。
昔はどちらかというと犬とか猫とかって苦手だったんだけど、ネコ助がやってきてからというものすっかりぬこ属性になってしまった。ネコってほんとにおもしろい。それぞれすごい個性があるし、行動が人間の子供とおんなじだもの。で、ちっとも従順じゃないし、気まぐれで好き放題やってるんだけど、ネコをこう、なでてるとやさしい気持ちになれる気がして、そーゆう存在はたまらなく愛しい。
痩せ細って弱っていた子猫もすっかり大きくなって、というかすでにメタボ。歩いてるとこ後ろから見ると、お腹のお肉がゆらゆら揺れてる。まあ飼い主に似るので仕方ないか。
ま、そんなわけで、記念に写真載っけときます。WB オートで屋外なのになんか変な色になった。
ホリー・ゴライトリーは、飼っていたネコを “cat” と呼んでいたなあ。と、村上春樹訳を読んでいておもったので久しぶりに観てみたのだった。ニャンコかわええのん。いい演技しとるw
ラストは原作のがホリーらしいけど、映画のラストシーンはきれいだよね。
ティファニーで朝食を – トルーマン・カポーティ, 村上春樹 [訳]
ティファニーで朝食を
夜、駅からの道のりをひとりで歩いていると、どうしてもいろんなことを(しかもおもにネガティブなことを)考えて悶々として泣きそうになってたりする。で、家に着くと部屋の前でネコがわたしの帰りを待ってたりして、たまらなく愛しいとおもう。
帰りを待っててくれる人がいるっていいよなぁ。
まあ、人っていうか、ネコだけど。
今日はちょっとグロい話をしますので、そーゆうの嫌いな人はスルーしてください。グロ画像はありませんのでご安心ください。
昨日の夜、ネコ助が外から帰ってきた。彼はいつものように、玄関先でにゃーと言ってわたしがドアを開けるのを待った。私はドアを開けた。そしておもわず、息をのんだ。
そこには、ネコ助と、雨に濡れた小鳥の死骸があった。彼は誇らしげにその小さな骸をくわえた。わたしはネコ助を部屋に入れずにドアを閉めた。そして何も見なかったことにして部屋に戻った。
しばらくすると、また外からにゃーという声が聞こえた。やや躊躇したものの、わたしはもう一度ドアを開けた。戦慄した。
さきほどの小鳥の死骸が、ズタズタになっている。足はちぎれ、脳みそらしきものがはみ出て、胴体は一部なく、血が少し滲んでいる。玄関前はやや生臭くなっていて気持ちが悪い。アスファルトの地面を打つ雨の音がしきりに聞こえる。
時刻は深夜1時を回っている。このままほっといても明日の朝またこの光景を目の当たりにすることになる。前の部屋の人にもきっと文句を言われる。現実を受け入れ、わたしは掃除をした。すこし泣きそうになった。
何事もなかったかのようにわたしの椅子で眠るネコ助を見て、こんなにかわいくてフワフワでにゃーすこ言って甘えてても、ネコはやっぱりネコなんだなあとおもった。気持ち悪いのもあるけど、なんかすごいショックだった。トカゲとかチョウチョを狩ってきたことはあったけど、小鳥。自然界の弱肉強食というものを目の当たりにした衝撃とでもいうのか。
冷蔵庫の鶏肉をみて、ちょっと身震いした。
ウチのニャンコ先生、ブラッシングしてやると、モダえる。悶えるというのがぴったりの反応を示す。アレは気持ちよがってんのか嫌がってんのか、よくわからん。
flickr で動画がアップできるようになったのでテスト。
ねずみのオモチャにじゃれまくるネコ助さん。