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有限と微小のパン

有限と微小のパン少し前に「猫の建築家」を読んで、そういや昔「すべてが F になる」読んだなぁとおもって買って読み直してみたところ、そのまま2ヶ月ほど森博嗣祭りになってしまい、結局 S&M シリーズを読破してしまった・・・。というわけでそのシリーズ最後の作品、森博嗣「有限と微小のパン」。日本最大のソフトメーカが経営するテーマパークを訪れた理系女子三人組。パークでは過去に死体消失事件があったという。そして彼女らもまた新たな事件に巻き込まれる。

これ、18年前の作品なんだよねぇ。携帯電話が普及しはじめた頃。シリーズ全体にコンピュータのなんやかんやが出てくるけど、現在の感覚との差がちょっとおもしろい。シリーズ最終作としてはまあこんなもんなのかな。事件そのものよりも作者の哲学みたいなものを見たかんじ。なんだかんだで10作通読したので、なんだか登場人物たちにも愛着がわいてきてしまった。四季シリーズは続編なのかな。また読んでしまうんだろうかわたしは・・・。

ルドルフとイッパイアッテナ

ルドルフとイッパイアッテナ出産祝いにリクエストした本。絵本だとおもってたら、小学生向けの児童文学ってかんじだった。読み聞かせるにはかなり長いので、とりあえずわたしが普通に読むことにした。

全体的に、母と子のテレビ絵本とほぼ同じ、というか、テレビでやっていたのはこの原作を端折って全 20 話に収まるようにしたというかんじ。やっぱりいい話。ネコの友情万歳。ただ、挿絵のネコたちがあんまりかわいくないんだよな〜(特に表紙)。ルドルフとかめっちゃ悪猫っぽいし。かといって映画版は映画版でかわいすぎてまたイメージ違う。読んでるうちにこの絵の雰囲気にも慣れはしたけど、やっぱりテレビでやってたのがしっくりくるなぁ。ま、最初に見たのがそれだから当たり前か。

この話、続編がいくつかあってそれも読みたいんだけど、映画化にあわせて文庫化されていて、それを買うか通常版を買うかで迷ってる。。文庫のほうが安いしコンパクトでいいんだけど、文庫化されてるのは1と2だけで3がないし、1はハードカバーで持ってるから統一感的な問題が、という葛藤。そういうことをものすごく気にするタイプ。悩ましい。

神々の山嶺

神々の山嶺 (上) 1年くらい前に買って積んであった夢枕獏「神々の山嶺」。カトマンドゥの街で買った古いカメラは、ジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかという登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの過去を追ううちに、羽生丈二という1人の男と出会う。

わたしには山の経験はないけど、それでも胸の内に熱い物がこみ上げる。何かを成し遂げる、ただそれだけのために人生の全てをかける、そんな男の姿があまりにも格好よくて。今のわたしは太郎のために生きるのが第一で今はそういう時期だってわかってるけど、ただなんとなく日々が過ぎていくんじゃなくて、何かしたいという気にならざるを得ない。

これ映画化されるんだね。観てみたいわ。

潮騒

潮騒これの前に読んでいた本に一節が引用されていて、昔読んだのに爽やかだったってことしか覚えてなくて読み返してみたところの、三島由紀夫「潮騒」。久しぶりに三島読んだけど、前に読んでたのが現代作家でわりと崩れた文章だったのもあって、その端正な文章がすごく心地いい。そして潮騒はやっぱり爽やかだった。三島じゃないみたいよねこれ。

手紙

手紙犯罪加害者の家族の話ということでどこかで見かけて積んであった、東野圭吾「手紙」。強盗殺人罪で服役中の兄を持つ弟が、自分は何もしていないのに犯罪者の弟というだけで社会の中で理不尽な差別を受け続ける。その兄から、獄中から毎月手紙が届く。

作中に登場する人物たちはものすごく嫌なやつだとか悪人だとかはいなくて、みんなごく普通の人だ。だけど、だからこそ、当たり障りない程度の距離をおく。その境遇には同情はするけれど、犯罪加害者の家族にあえて深く関わろうとしないというのは、当然といえば当然なのかもしれない。勤め先の社長の「差別は当然」という言葉が突き刺さる。冷たいようだけど、でもこれってすごく現実的だよなぁとおもった。

差別はね、当然なんだよ。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる―すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね。

終着駅殺人事件

終着駅(ターミナル)殺人事件先月のタモリカレー会の際、くもさんちで延々テレビ見てたわけだけど、その時やっていた西村京太郎サスペンス。都合よすぎwww ベタすぎる展開www とかなんとかツッコミ入れつつも面白くて真剣に見入っていたのもまた事実。で、原著を読んでみましょうかねってことで、西村京太郎「終着駅殺人事件」である。

基本的なストーリーはドラマと同じだけど、1980年の作品であるということと、ドラマにするに当たって変えたであろう設定いろいろで、ちょいちょい違ってたのでそれもまた楽しめた。西村京太郎って今回はじめて読んだんだけど、なんか無駄に読点が多くてはじめの方すごいイラッとした。読んでるうちに慣れたけど。にしても、ドラマ同様ツッコミどころ満載というかなんというか・・・もっと緻密に組み立てられたミステリっていくらでもあるよね、みたいな。。まああれだ、通勤電車の暇つぶしに最適、ってとこかしらねw

オートバイ

オートバイ今月いろいろあってほとんど本読んでない。。で、たぶん Amazon で「こんな本も買っています」で出てきててそのまんまのタイトルに導かれるようにして買ったような気がするところの A.ピエール・ド・マンディアルグ「オートバイ」

若い女がレーシングスーツに身を包み、ハーレーに跨がり国境を超えて愛人の元へと早朝のアウトバーンを突っ走る、みたいな話。主人公レベッカ、峰不二子を彷彿とさせるかとおもいきや、胸は小さいらしい。ま、ストーリーの内容はともかく(笑)、バイクで走る疾走感が気持ちいい。ああ、最近バイク乗ってない・・・バイク・・・バイク乗りたい・・・・・

新選組血風録

新選組血風録年末年始にかけて、個人的新選組祭りが開催されていた。日本史がからっきしダメなわたくしは司馬遼太郎「燃えよ剣」で基礎教養(笑)と大まかな流れを摑み、浅田次郎「壬生義士伝」でボロクソに泣いて、新選組ものの古典と言われる子母澤寛の三部作に至る。そしてこちら、司馬遼太郎「新選組血風録」。「燃えよ剣」が本編ならば、これは言わばサイドストーリー的なもの。幹部から平隊士まで、いろんな新選組隊士のエピソードが集められた短篇集。血なまぐさい時代にあって、人間味あふれる人物たちに魅了される。井上源三郎とかいいオジサンだ。るろうに剣心で育った身としては、斎藤一はもうあの斎藤一のイメージしかないし、沖田総司も瀬田宗次郎に変換されちゃってるんだけど(笑)、でもやっぱいいキャラだ。

さて、新選組ものばかり読んでいてすっかり幕府側になってしまったわたくし、薩摩長州土佐キーッ! みたいになっとりますが、ぼちぼち竜馬がゆくでも読みますかねw

めす豚ものがたり

めす豚ものがたりたしか堀江敏幸の書評集に載っていて、すげータイトルだなオイとかおもって買って積んでおいたものとおもわれる、マリー・ダリュセック「めす豚ものがたり」。若くてセクシーで魅力的な女性がメス豚に変身してしまう、という話。変身といえばカフカのそれがまず浮かぶわけで、あちらは朝起きたら虫になってたんだけど、こちらはだんだん豚へと変貌を遂げていくその過程と、人間と豚との行き来が描かれている。

なんていうか、だんだんブタになっていくとか、自分に重ねちゃってね・・・。あ、お前は若くてセクシーで魅力的な女性じゃねーだろってツッコミはいりませんよ。ええいりませんとも。わかってますから。ええ。でその描写がやけにリアルに感じられて、グロテスクなんだけどなんか他人事とおもえなくてガクブル。なんとも妙な体験であった。だんだんブタに・・・ああ。。。

漂流

漂流先月からの流れで個人的に吉村昭祭りになっていた。その中から1冊、「漂流」。江戸時代、嵐で難破し黒潮に流され無人島に漂着した土佐の船乗り長平の、史実をもとにした小説。

長平を乗せた船が漂着したのは、伊豆諸島最南端に位置する鳥島だった。水も湧かず、植物もまともに育たない無人の島で、仲間は一人また一人と倒れていく。そのような極限状態にあって、この長平の生き様が胸を打つ。無人島にたった一人取り残されて、まともな精神状態でいられるだろうか。ただ生きていることに感謝して、念仏を唱えて。すごいわ。。また、生活の手段。限られた資源からいろいろなものを作り出したりして生活していくわけだけど、それが可能なのもこの時代だからこそ。現代人がこの状況に陥ったら、あっけなく餓死していることだとおもう。

この小説において、あほう鳥はかなりの存在感である。貴重な食糧であると同時に、渡り鳥であるあほう鳥の動きと一緒に季節が移ろいでいく。その淡々とした時間の流れが切ない。なんだかあほう鳥にやけに親しみがわいてしまった。 そして、バランスのとれた食事と適度な運動というのは、今も昔も、都市生活でも無人島生活でも同じなんだなぁとしみじみ。食べること、そして生きることを改めて考えさせられた。