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知らない人の車に乗った話

※長文注意
 要約:知らない人の車に乗って浜松まで行った

7年前の夏、静岡県の渚園でおこなわれた B’z のライブに行った。ライブがおわって帰ろうというとき、財布がないことに気づいた。同行した友人は、時間の都合で終演のすこし前に先に帰っていたため、1人だった。血の気が引いた。

受付みたいなところに財布が届いていないか聞くも、届いていない。これだけの人がいれば悪い人も中にはいるわけで、落としたのかもしれないし、盗まれたのかもしれない、出てこないだろう、みたいなことを言われる。帰りの切符も財布の中。携帯電話の充電はもうほとんどない。どうしよう、帰れない。おまわりさんてのはお金を貸してくれないものだそうで、結局イベンターの人が交通費にと 9000円を貸してくれた。帰ったら現金書留で送ってくれればいいから、と言っていたけど、今思えばよく貸してくれたもんだとおもう。

とりあえずイベンターの人が車で警察まで送ってくれて、遺失届などモロモロの手続きをする。終わった頃にはもう23時近かった気がする。警察からの最寄の駅はすぐのところにあるんだけど、何せ田舎の小さな駅。それにもう電車がないんじゃないのみたいな時間になっていた。そんな見知らぬちいさな田舎町に放り出されて、文字通り途方に暮れた。ああ、途方に暮れるってこういうことなんだな、という実感を噛み締めながら途方に暮れた。

国道に出ると、「浜松 ○○km」の青看板が目に止まった。浜松・・・。夜通し歩いてれば浜松くらいまで行くんじゃね? 浜松まで行けばなんとかなるんじゃね? という考えがわきおこる。そうなると俄然やる気が出てくる。そして真っ暗な夜の国道1号をひとり歩き出したのだった。

歩き始めて数分経った頃だろうか、浜名湖のほとりだった。1台の車が私の前に止まった。中から20代後半くらいのオニーちゃんが顔を出して、「どうしたの?」と声をかけてくれた。事情を説明すると、「もし君が僕を信用してくれるなら、浜松まで送ってあげるよ。嫌だったら断ってくれてかまわない。どうする?」と。信用するとかしないとか、そんなことどうでもいいくらいに救われた思いがした。

お言葉に甘えて車に乗せてもらった。明るいオニーちゃんだった。「こんな夜中に女の子がひとりで暗い国道を歩いててさー、何かあったにきまってるじゃん。目の前浜名湖でしょ? 自殺する人とかいるんだよ」と。B’z のライブだった、と言ったら「おお、B’z かぁ。俺も学生の頃よく聞いたなぁ。B’z の CD あるぞ、聞こうか」といってかけてくれた。Treasure だった。このときの「恋心」が妙に耳に残った。「なんならウチに泊めてあげてもいいんだけど、さすがにそれは無理だろうからねぇ。浜松行けば、ファミレスとかカラオケとか、とりあえず夜を明かせるとこはあるから。」優しいニーちゃんだった。聞けば仕事帰りだったそうで(ブ****ンの社員だと言っていた)、逆方向なのに、本当にありがたかった。

20分くらい走って浜松駅に着くと、「お、お仲間がいっぱいいるぞw」と。そこには同じく終電を逃し、宿も取れなかったらしき人々がわんさかいた。ちょっとホッとした。本当にありがとうございました、助かりました、とお礼を言って車を降りる。オニーちゃんは「気をつけてなー」といってもと来た道を戻っていった。わたしは始発待ちをしている人たちに混ざって浜松駅で夜を明かし、翌朝鈍行で東京に帰った。

名前も連絡先も聞かなかったし(聞こうとしたけどいいよいいよって遮られたような記憶、ちょっと定かでない忘れた)、もう顔もまったく覚えていないけど、夏の終わりに思い出す、知らない人の車に乗った話。

マユメチカ

眉毛と目が近い人のことをマユメチカというらしい(出典)。
↓ は hyde(個人的に、日本人マユメチカの代表選手だと思っている)
マユメチカ
何を隠そうわたしは若かりし日、このマユメチカに憧れていた。外人さんって眉毛と目が近い人多いじゃない。あれがかっこよくみえたのだ。眉毛と目を少しでも近づけるべく、眉毛を整える際、上の方の毛を抜いて下の方を書き足す、みたいなことをしておった高校時代。なんとも健気というか、今にしておもえばなかなかに滑稽である。

仮面ライダー BLACK

そろそろ仮面ライダーについて書かねばなるまい。ここでいう仮面ライダーは、仮面ライダー BLACK である。なぜなら、わたしが幼少期にリアルタイムで見ていたのは仮面ライダー BLACK だからだ。

まずはオープニングテーマ。この曲は昔から大好きである。死ぬほどかっこイイ。なぜか iTunes のライブラリにもきちんと入っている。疾走感のあるイントロから始まり、「時を超えろ 空を駆けろ この星のため」である。シビれる。倉田てつをの歌唱力には度肝を抜かれるが、それはそれで味わい深い。過去にこれの ANIMETAL バージョンまで iTS で買ってしまったという実績もある。仮面ライダーがバイクに跨がり颯爽と駆け抜ける姿はあまりにも、あまりにもかっこいい。これはちょいとばかしズルいんではないか。バッタの風貌で。バッタ状のバイクで。この星のために、時を超えて空を駆けるのだ。ああ。ヒーローとはこういうものではないか。素晴らしい。

ところで、仮面ライダーはスズキ乗りだということを知った。たしかにあのバッタ状のバイクは、変態の名に相応しい。最近ではホンダが多いらしい。ふむ。

そしてエンディング、「Long long ago, 20th Century」。この歌は、仮面ライダーのいる未来の視点で、「緑なす大地 四季折々の花・・・」と、過ぎ去った20世紀を懐古するというものだ。実に切ない。哀愁漂うメロディがしみる歌なのだが、なぜか間奏(エンディングには使われていないが)だけが唐突にやたらとコミカルで、そのギャップが面白おかしく、幼いわたしは兄弟と共にゲラゲラ笑いながらそのおどけたリズムに合わせて踊っていた記憶がある。いま YouTube でその映像を見ると、前半は仮面ライダーがバイクに乗って走っているだけ、後半はバイクをおりてこちらに向かって歩いているだけ、どちらもアングル固定。というえらい手抜き感あふれる素敵な映像となっている。古くさいフォントも素敵だ。

それから、倉田てつを変身集なる動画で倉田てつをのイケメンっぷりに腹を抱えて笑う。サラサラヘアーがまぶしすぎる。まるで初恋のサッカー少年のようではないか。そしてまだあどけなさすら残している少年のような顔つきと、ドスのきいた(ふうにみせかけようとしてるけどきいてない)わざとらしい低い声がどうにも結びつかず、妙にちぐはぐな印象を与えて滑稽である。いや、失礼、かっこいい。こうたろうさん!こうたろう△!!「へん・しんっ!」。声に出して読みたい日本語である。倉田てつをがイケメンすぎるので、今どんなオッサンになっているのだろうかとググってみたところ、これまたクソカッコイイオッサンに成長しており、期待を裏切らないイケメンっぷりにただただ脱帽した次第である。

・・・えーっと、仮面ライダーを我がヒーローと崇める皆様、えらいすんませんw いやでも、わたしがバイクに乗りたいとおもったのは、函館の YH で同室になったライダーのオネーちゃんがめちゃんこかっこよかったからだったとおもうんだけど、もしかしたら幼少期の仮面ライダーが脳みその片隅に刷り込まれていたのもひとつの要因だったのかもしれないなぁ。なんておもったりおもわなかったり。

そういえば仮面ライダーは1人で戦うわけだから、いわゆる「戦隊」モノではないんだよなぁ。そうなんだよなぁ。なんて、どうでもいいことだけど・・・ね。

墨汁と鉛筆削り

うちの母親の教育方針のひとつに、墨汁を使ってはいけないというのがあった。墨はするもの、墨汁なんぞ邪道である。という考えによるものだ。おそらく。授業では墨汁を使うことが前提とされ、墨をする時間など設けられていない。小学生の私は、書道の授業のある日の朝、せっせと墨をすって登校したものだ。しかしながら、どんなにがんばってすっても墨汁を使っている他のクラスメイトに比べてわたしの墨は若干薄く、それが妙に恥ずかしいことのように思えた。

似たようなことで、鉛筆はナイフで削らなければならない、というのもあった。鉛筆削るのに機械を使うなんぞ邪道である。という考えによるものだ。おそらく。小学生の私は、そりゃもう器用にナイフを使って鉛筆を削ったものだ。しかしながら、どんなにがんばってきれいに削っても、鉛筆削りで削ったものとの差は歴然たるもので、それもまた恥ずかしいことのように思えた。

それでも、がんばったかいあってか、なくてか、オウテカ、わりと書道や硬筆はうまいほうで、よく表彰されたりしていた。(今となっては見る影もないが)

中学生になり、シャープペンシルを使うようになり、鉛筆は削らなくなった。高校生になり、書道の授業が必須科目でなくなり、墨をすらなくなった。

高校三年大学受験の冬、先生が、入試の時は鉛筆を使うといい、と言っていた。で、休み時間には鉛筆削れと。ナイフで削れと。黙々と鉛筆を削ることで、精神統一が図れるからとてもいいのだ、と。そういえば母上も「墨をすると集中するでしょ」みたいなことを言っていた。わたしはここではじめて、なんとなく母の教育方針に合点がいった気がした。

まあ、ただ単に吝嗇だっただけかもしんないけど。

御座松の思い出

我が家は家族旅行というと夏はキャンプ・冬はスキーと決まっていた。わたしが高校入るくらいまでは、毎年必ず夏休みは家族でキャンプに行っていた。キャンプ場近くの川で遊んだり山にのぼるなどすることもあったけど、ほとんどがごはんの支度と片付けとあとはぐだぐだ、というアウトドアなんだかなんなんだか、わざわざフル装備で山ん中にぐだぐだしに行く、みたいなキャンプだった。

早起きして眠い目こすりながら車の中で食べる朝ごはん、ペグ打って張るテント、薪でおこした火と飯盒で炊いたすさまじくおいしいごはん、ツーバーナー点火前の儀式ポンピング、ランタンの灯り、朝露で濡れたテントの冷たさ、ほんとうに降ってくるかのような満天の星。そういうのぜんぶ、ほんとにすごいいい思い出。

そうやって10年くらいの間毎年どこかしらに行っている中、後に長く語り継がれるキャンプがあった。それが、御座松というキャンプ場でのキャンプだった。

いつもは夏休みに行っているのだが、11月の連休でも行くことになった。我が家ではテントサイトに車の乗り入れが出来る「オートキャンプ」というものを善しとせず、「男子たるもの、荷物は運べ!」みたいな謎の風潮があった。いやうちの一家半分女子だけどさ。でこの御座松キャンプ場というのは川をはさんだ南北両側にサイトがあり、車両乗り入れができるのは北側サイトのみ。我が家はもちろん南側にテントを張る。11月という季節もあって、敷地内には管理者はおろか我々一家のほかに人っこ一人いない。吊り橋を渡った林の中に、ぽつんとひとつ、テントを張る。そこで我々のキャンプが始まったのだ。

11月の長野だ、とにかく寒い。暖を取るべく、一家は模索する。そこへ、次男坊が巨大な枯れ木を引きずってくる。そこらへんに転がっていたドラム缶にその枯れ木をブチ込み、火をおこす。薄暗い林の中、高く立ち上る炎と、バチバチと音を立てて舞い上がる火の粉。大きな木の枝を丸ごとブチ込んでいるので、かなり豪快な焚き火である。他に利用者がいないからできた芸当だよな。テントサイトの雰囲気のよさもさることながら、この焚き火の印象があまりにも強烈で、そのワイルド感からなのか、とにかく素晴らしいキャンプだったと後に長く語り継がれることとなったのだ。

そして去年。父も母もとっくに還暦をむかえ、子供たちのうち誰かが家庭を持ってもおかしくないような年齢になってきているが、そんな気配は微塵も感じられないのが我が家である。そんな大人6人で連れ立って、またキャンプに行こうではないか、そうあの御座松にもう一度行こうじゃないか、という企画が持ち上がった。でも、結局全員の予定を合わせることができず、福島で父上を拾って新潟に洗濯機運んで焼肉をする、という謎の家族旅行が催されたわけだが、もういちど御座松に行きたいなぁ。と、11月の連休にあっておもうのであった。

DSC_3174というわけで、本日は御座松ツーリング。場所的には駒ヶ根のあたり。なんか・・・とてもいいツーリングになった。長野曇りとかいってたくせにめっちゃ天気いいし。朝5時前に家を出て、6時間ひたすら下道を走る。大きな道路から外れ、キャンプ場に至る道は林道で、枯れた松の針葉が大量に落ちていてすごい怖かった。けど、御座松に着いた途端、そんなの吹っ飛んだ。あああ、御座松だよ・・・と声に出してしまった。川で遊んでたら足を滑らせてこける。手を擦りむいた。落ちなくてよかった・・・。吊り橋を渡ってテントを張った場所に行ってみる。うわあ、あのときと同じだ。当時の光景がありありと浮かぶようだ。ほんとはサクっと見て帰ってくるつもりだったんだけど、もう帰りの中央道が渋滞しようがかまわん。心ゆくまで遊んできた。なんか、すごい楽しかった・・・。帰りの中央道も、やたらと景色が良くて、天気もよくて、前方にずっと富士山が聳えていて、なんかもうね、今日、行ってほんとうによかった。ほんとうに。

また家族でキャンプにいきたいなぁ。

総走行距離:509.4km [Map]
写真:GRD 3/124, D80 9/224 [Flickr]

足エレベーター

小さい頃、床に物を落として拾うのに、屈むのがメンドクチャイからって足で拾うことを「足エレベーター」とか言ってた。で、母親に「横着しないの」と怒られた。わたしはそこで「横着」という言葉を覚えた。

ということを今日思い出したので書いただけです、ハイ。

090909

高校のとき、クラスメイトに「キューちゃん」と呼ばれる子がいた。なぜキューちゃんなのかというと、誕生日が9月9日だから、だった。勝手に「Q」を当てていたが、「Qちゃん」ではなく「9ちゃん」だった。「9ちゃん」だと、なんだかテレビみたいだ。チャンネルはテレ東に。

とこ
ろで

彼女の親友は「いっちゃん」だった。苗字が「いのうえ」だったので「いっちゃん」なんだとおもいこんでたけど、もしかしたら1月1日生まれだったのかもな・・・

なんてことをおもった。本日。にせんきゅうねんくがつここのか。

鳴らない口笛

サトウハチローの詩に「夏の子」っていうのがある。ピアノの先生がそれに勝手に曲をつけて、発表会のときみんなで合唱した。発表会は毎年今ぐらいの季節だったから、この時期よく思い出す。すごくいい歌。

詩って勝手に曲つけて勝手に歌っていいもんなのかなとか思ったんだが、プライベート(?)な発表会で歌ってるだけだからべつにいいのかもね 。

ウシになる

子供の頃、よく「食べてすぐ横になると牛になるよ!」と窘められたものです。なんじゃそりゃ山月記じゃあるまいし、とか毒づく可愛くない子供だったかどうかは定かではございませんが、子供心に、生物学的にどういうプロセスを踏めばヒトがウシになるんだよ、という考えが脳裏を掠めつつも、いやでもウシは困るよなウシは、と思い、素直に親の言うことを聞いたものです。

教育というのはある意味洗脳だとどこかの誰かが申しておりましたが、なるほどそれは一理あるのかもしれないと思い、ここに記しておく次第であります。

[今日の嘘八百]
虎になった李徴はその後、高速回転することでバターになったという。