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八月の犬は二度吠える

八月の犬は二度吠える8月なので、「八月の犬は二度吠える」。鴻上尚史が浪人時代に行っていた予備校の寮での生活をもとにした青春(?)小説。だとおもって読みはじめたんだけど、話は過去から現在へつながる。氏がエッセイで度々触れていた話なんだけど、どこまでがノンフィクションなんだろう・・・なんて思ってみたり。ちょうど8月16日に五山の送り火の映像が流れ、大の文字の右上に点の打ってあるところを想像した。のは、きっとわたしだけではないだろう。もちろんあれは戌年だけだから、今年は通常通りの「大」だったけれど。

無性に京都に行きたくなった。そんで、大文字山に登ってみたくなった。

ところで、鴻上尚史の舞台を観てみたい。ロンドンの人がハルシオン・デイズ観にいったそうで羨ましい。秋の第三舞台、チケット取れるだろうか。。

蒼穹の昴

蒼穹の昴(1)文体一致診断で浅田次郎って言われたので(今は寺田寅彦になってるけど)、積みっぱなしだった「蒼穹の昴」に手を出した。清朝末期の中国を舞台にした、政治の混乱とそれに関わる人物たちの人間ドラマ。史実とフィクションが入り混ざって楽しい。むかし世界史でやった人物がたくさん登場して、かなりテンション上がる。全く知らなかったんだけど、最近 NHK でテレビドラマ化されていたようだ。ちょっと見てみたかったかも。

まだ最終巻読み終わってないんだけど、今月なんかあまり本読んでなくて、1冊選ぶとしたらこれしかないなと。その前に読んでたのはベッタベタのラブストーリーが続いて(この暑苦しいのに!)、若干(いやかなり!)辟易してたもんで。。
まだ途中だけど、たいへんおもしろい。

まだ途中なので、そんなテキトーな感想で。←やる気なし

悪人

悪人(下) (朝日文庫)九州から東京に戻るフェリーの中で読もうと持っていったものの、船酔いするため結局読めなかった、吉田修一「悪人」。帰ってきてから読んでみてびっくり、舞台がちょうどわたしがこの連休に駆け巡った九州北部ではないか。主人公は車好きの青年で、道の描写も多くちょっとワクワクする。殺人現場となる三瀬峠は今回通らなかった道だけど、連休前に読んでいたらルートにいれたかもなぁ。登場人物の博多弁がかわいい。

田舎で祖父母と共にひっそりと暮す青年が、出会い系サイトで知り合った女性を殺害する。はじめ、「悪人」はこの男のことと認識される。しかし読み進めていくうちに、好きな車に乗りながら慎ましく暮らし、出会い方はどうあれ不器用ながらも出会った女たちを愛してきた男の姿を見ると、こういう人って現実にけっこういるんじゃないかとおもうし、被害者の女性や周囲の人間の描写を見るにつけ、彼が悪人ともおもえなくなる。そして終章に向かうにつれ、この「誰が悪人だったのか?」という問いが濃いものとなっていく。

この物語はフィクションだけど、同じような事件はきっと数多あるんだとおもう。被害者の遺族の心情なんかも胸を刺すものがあった。

蝉しぐれ

蝉しぐれどうせなら8月くらいに読めば季節的にいいかんじの今月の1冊になったんだろうけど、まあそんなこたどうでもいいか。というわけで、藤沢周平「蝉しぐれ」。父親が謀反の罪を着せられ刑死し、忍苦の日々を過ごすことになる文四郎。幼なじみのふくとの淡い恋や、逸平・与之助との友情を交えながら成長し、やがて藩の権力闘争に巻き込まれそれに立ち向かっていく。

藤沢周平は読んだことがなかったんだけど、端正な文章に完成度の高いストーリーで読ませるなぁとおもった。淡々としているながらも情景描写は豊かで美しく、その穏やかな雰囲気がすごくいい。江戸時代を舞台にしているので懐かしいというのも変かもしれないけど、なんかそんな印象を受けた。

苦難を浴びることになりながらも悲壮感が漂うわけでもなく、しっかりと前を向いて努力をする文四郎の姿は実に爽快。決してずば抜けた超人みたいなわけではないのに、昔の男子というのはこんなにも潔くて男らしくて凛々しいのかと。親友である逸平や与之助との篤い友情にも心打たれる。いい小説だった。

永遠の0

永遠の0弟に激しく薦められて読んだ第2弾。百田尚樹「永遠の0」
今のこの時期に読んだのはちょうどよかったのかもしれない。戦時中の航空隊の生き様を描きながら、その背景にある当時の日本の軍隊の体質が見える。それが現在の日本の政治にもつながって、自衛隊やマスコミ、ひいては日本人の在り方についても考えさせられる。

わたしは太平洋戦争について、世界史の授業でやる程度の知識しか持ちあわせていなかった。具体的にどんな戦いをするのか、いかに兵士の命を軽んじた作戦がとられていたのか、また戦争が進んでいく中で変わっていく戦況といった戦争の仔細を、物語を追いながら知っていく。そのなかで最前線で戦う戦闘機乗りの生き様や心情がよく伝わってきて、なんともいえない気持ちになった。戦争を日常として生きるってこういうことなのかと。特攻隊に限らず、あの時代に生きていた人たちひとりひとりがいろんなものを抱えて生きて、また死んでいったことを改めて考えさせられた。

加えて本作は、零戦はどうすごかったのかとか、戦闘機の空戦のシーンなんかもダイナミックに描かれていて、そういう面白さもある。ただ、現代の人物たちにまつわるとってつけたようなエピソードはまったくもっていらないとおもった。

ノルウェイの森

ノルウェイの森水曜日なので、珍しく映画でも。「ノルウェイの森」を観てきた。映画館で映画を観るのは、ちょうど1年前の THIS IS IT 以来ではなかろうか。年末になると映画を観たくなるのか? わたしは。友人と話してて話題にのぼったり、少し前に村上春樹が「ノルウェイの森」や「ダンス・ダンス・ダンス」を書いている頃の旅行記である「遠い太鼓」を読んでいたり、ちょっとした怖いもの見たさもあいまって、まあ観てみるか、という気になった。映画を観る前にサクッと原作を再読。最初に読んだのは大学生の時で、当時はなんでこの小説がそんなに売れたのかよくわからなかったけど、多少は大人になっているであろう今改めて読むと、いろいろとおもうところはあった、ような気がする。でもちょっと今は村上春樹のあの文体や独特の雰囲気に素直に入り込める気分じゃなかったかもな。なんとなく。

で、映画。ある程度予想はしていたけど、生身の人間が実際に台詞として言うとこうも陳腐な印象を受けるのかと。なんかもうクライマックスにむかうにつれどんどん白々しくなっていった。それでいてあらすじだけ抜き出すと、とにかく人がどんどん死んで主人公がいろんな女とセックスする話、になっちゃうわけで、どうしようもない。もちろん登場人物たちはそれぞれに過去を抱えていて、それが死とセックスにつながってきて、まあひとつのテーマになってるわけだけど、長編を2時間ちょっとに収めようとするとどうやっても端折られる部分が出てくるわけで、そうなるとますますその部分だけが浮き立つ形になってしまう。テンポも早いから原作を読んでいないならいないでわけわかんなそうだし、やっぱり難しいよね、といったところ。

とまぁコキ下ろしててもしょうがないので、、、映像はきれい。昭和の古臭いかんじなんかはいいなあとおもった。登場人物の服装とか髪型とか、部屋の中の家具とか小物とか雰囲気とか、タクシー初乗り100円とか(笑)。あとは細野晴臣と高橋幸宏。出演してるの知らなかったので細野晴臣がきておおっ、とおもい、高橋幸宏もきたもんだから、坂本龍一もくるか!? とおもったけど、こなかった。あと糸井重里も出てたね。ロケ地に早稲田大学が使われていて、文キャンも出てて、ものすごくなじみ深い場所が出てくるたびに懐かしくてうれしい気分になった。映画本編と関係のないとこではけっこう楽しめたのでよしとする。松山ケンイチはけっこう雰囲気合ってるなとおもった。緑役の水原希子もかわいかった。髪型が特に。

シューマンの指

シューマンの指母上がいまシューマンの本を読んでいるとかで、やけにシューマンにハマっていた。それが「シューマンの指」、読み終わったというので借りた。てっきり音楽解説書の類かとおもっていたら、シューマンに傾倒する天才少年を主題にとったミステリだった。

とはいえ、母が「シューマンの本」と言うのも頷ける程度に前半はシューマンやその作品の描写がかなり多いので(まさに音楽評論書のようだ)、クラシック好きとしても楽しめるかんじ。特に、作中で「幻想曲 Op.17」が重要な場面で扱われるんだけど、この曲わたしも以前発表会で弾いて、すごく練習した曲だし、大好きで思い入れもある曲なのでなんか嬉しい。読んでると弾きたくなるもんで、久しぶりに弾く。うん、ヘタクソになっている。悲しい。

物語の中で永嶺修人が言う、「音楽はすでにそこにある、演奏する必要はない」という考えがおもしろかった。なるほどそうなのかもしれない。だけどそのすでにある音楽に少しでも近づくべく、ピアノ弾きはピアノを弾くのだ。

ミステリって普段あまり読まないし、読んでも「読み解く」的読み方をわたしはしない。それにこの本は音楽の要素が大きいからミステリってかんじでもなかったんだけど、終盤の展開はたしかにミステリであった。読後はなんだか夢を見ていたかのような感覚。それはまるで、あの月夜に聴く幻想曲のような。

演奏なんかしなくたって、音楽はすでにある。完璧な形でもうある。楽譜を開く。それを読む。それだけで、音楽が確かな姿でもう存在しているのが分かる。シューマンの指

最後の物たちの国で

最後の物たちの国で新刊が出たばかりのオースターだが、わたくし文庫化を待つ人なので旧作の未読のものに手を出す。で、立て続けに3作品読んでしまった。その中でいちばんよかったのがこれかな、「最後の物たちの国で」。オースターの作品はいつもアメリカの空気をすごく感じるけど、これはどちらかというと欧州っぽいイメージを抱いた。今までいくつか読んできた彼の作品の中でもちょっと異色なかんじ。

行方不明の兄を捜して主人公アンナが乗り込んだ国は、極度の貧困によって盗みや殺人が犯罪ですらなくなっているような国だった。未来のディストピアというよりは、むしろ現在においてどこかで起こっていることに近いのかもしれない。極貧と絶望に支配された終末の街で、極限状態の中で生き抜いていく人々。絶望の中にあって、アンナはとてもたくましく、生命力に満ちて魅力的だ。それでも破滅に向かう悪夢みたいな物語のラストに、救いがあるのかはわからない。だけど読後感は悪いものではなくて、それは根底に希望があるからなのかなぁ、とおもった。

花腐し

花腐しなんとなく松浦寿輝が読みたくなり、そういえば芥川賞とってるんだなぁとおもって、「花腐し」。にわか地上げ屋となった中年男が、その立ち退かない住人の男と酒を飲んでは、死んでしまった恋人や裏切られた友人といった過去の意識に引き戻される。こういう陰鬱な雰囲気は好きだ。雨の気配もその陰鬱さを増していていい。この人の小説って、現在と過去であるにしろ現実と仮想であるにしろその境があやふやなようなイメージなんだけど、切り取った時間が留まっているような、そんな感じがなんか好き。とにかく暗いけど、それもまたよし。

作中で「意識なんていうお化け」っていう一節がでてきた。人間なんてのは元はと言えば蛋白質の寄り集まりで、なんやかんやしてるうちに意識だとか心だとかいうお化けが生まれちゃった。お化け。本当にそう、お化けだよなぁ。ちょっとずれるけど、わたしは自分が死んで、もしまた自分という意識だとか存在があったらとおもうとぞっとする。べつにひどい苦労とか不幸を味わってるわけじゃない、むしろ日々楽しく過ごしてるけど、それでも人生なんてもうまっぴらごめんだな。

塵が寄り集まって、ほんの一瞬だけある形を作ったと。しかしそういう不自然なことは続かないからたちまちほどけて散ってゆく。その一瞬の形というのがあんたの人生の全体なのよ。何とも爽快じゃあないですか

高円寺純情商店街

高円寺純情商店街早いもので六月もおわり。六月といえば蠅取り紙だと、わたくし今月の頭にここで申し上げましたが、去年もまったく同じことを言っていたことに先般気づきまして、コリャ「六月の蠅取り紙」再読せばなるまいという謎の使命感により、ねじめ正一「高円寺純情商店街」

中学生のときに国語の教科書で読んだ「六月の蠅取り紙」は、この中の第2話。どんな話だかは忘れてしまっていたけど、その蠅取り紙にハエがくっついてる描写が気持ち悪かったという記憶だけは残っている(笑)。ハエはまあいいとして、登場人物たちもなんだか味があって、ちょっといいかんじの商店街の人々と乾物屋の日常。化粧してもらって舞い上がってるおばあちゃんとかカワイイ。ラストは火事の話なんだけど、商店街では消防車に消火活動をされては困る、という話があって、なるほどな〜とおもった次第。

高円寺に実在するこの商店街は以前は「高円寺銀座商店街」だったらしいけど、この作品にちなんで「高円寺純情商店街」とその名前を変えたんだとか。ちょっと気になるのでこんど機会があったら行ってみようとおもう。