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夏の庭

父方の祖母の容態が芳しくない、ということで顔出しに横浜へ。

3ヶ月ぶりくらいに会うのかな。おじいちゃんが亡くなってからの2年くらいで、会うたびに少しずつ衰えていってるのは感じたけど、ほんとにだいぶ衰えてきてた。食事をするにも、噛んで飲み込む、という動作ができない。おしゃべり好きな人なので、顔出すといつもは喜々としてしゃべりまくるんだけど、今回は声を出すことすらままならない。いつもテレビみてたけど、それすらしないで常に微睡んでいるかんじ。

なんていうか、臓器が停止に向かっている、ってのをすごく感じた。ギアチェンジしてる、いま2速くらい? とか冗談言ってたけど、そんなかんじ。

母曰く、この数日でもどんどん衰えてるかんじだそうで。それでも、今日の夜ごはんはけっこうちゃんと食べていて(といってもほんとにすこしだけど)、お酒も飲んでて、母も「今日は夜はちょっと元気になったね」と言っていた。おじいちゃんが亡くなった時も、ごはんを食べなくなってってかんじだったから、ごはんをちゃんと食べてくれると安心する。発声はままならないけど、頭はしっかりしてるから、夜はすこししゃべった。やっぱ顔出しに来てよかったな。モロモロ忙しくて帰って来ちゃったけど、もうすこしいたかったな。

様子をみてると、ほんとにあと1週間とか、そんなんで止まってしまうんじゃないかっておもうくらいで。わたしは今日1日だけだけど、人が衰えていく、死に向かうってのをすんごい感じた。この夏の暑い日に。で、小学生くらいのときに読んだ「夏の庭」をおもいだしたというわけです。

大量生産

20070427やー、残念ながら妹に言われたひとことは「ともちゃんまるーーい!」でしたわたくしですこんばんは。昨日 EOS 持ってったら、妹が着物着てたんですね。そりゃもうかわいいったらありゃしませんよ。着物が。喜々としてバカスカ撮ってたんですが、ウンコタレ写真大量生産に終わり実に残念でした。ま、そんなかんじで、世間はゴールデンウィークですね。NHK風に言うなら大型連休ですね。わたしはカレンダーどおりなので、前半は主に北を攻めます。匈奴討伐です。後半は東京で友達と遊んだり西から来る人を迎え撃ったりぐだぐだしたりします。間違っても歩いたりしません。よろしくどうぞ。でもなんか風邪ひいたっぽ・・・

クリスマスの朝

20061225我が家は12月25日の朝、枕元にプレゼントが置いてある。みんな大人になって、サンタさんは父上と母上だってわかっても、いっしょにクリスマスプレゼントを買いにいくようになっても、とにかく25日の朝までは親がどこかに隠してて、そんで25日の朝に枕元に置かれるのだ。目を覚まして、ちょっぴりドキドキしながらプレゼントの気配を感じつつ、枕元を見る。わかってても、すごくハッピーな気持ちになれる25日の朝がだいすき。

さて今年は家を出て一人暮らしをしている私。去年はもらったんだけど、今年はさすがにないでしょう。わかってたけど、朝起きて、枕元をドキドキしながら見た。あるのはいつもの PowerBook(枕元が定位置w)だけだった。でもそれ開いたらあちこちで、あちこちから、メリークリスマスのメッセージ。ちょっといいなっておもったのでした。

メリークリスマス。
素敵な夜を過ごせましたか。

Fw:

あー今日も帰れないかなぁなんて思ってたところに母上からのメールが。

お寿司だよ。
カニもあるよ。
早く帰っておいで!
茶碗蒸しもあるよ!

今すぐ帰ります!!

おにいちゃん

熱心な当ブログ読者の皆様は私に妹がいることはご存知かと思います。また、すんごく熱心な当ブログ読者の方は弟がいることもご存知かと思います。でも、兄がいることを知っている方はそういないのではないでしょうか。

お兄ちゃんはわたしの2コ上。旅が好き。電車が好き。車も好き。最近は二輪も取ったらしく(いいなー!)、バイクも乗る。山に登る。音楽が好き。ピアノを弾く。コントラバスを弾く。チェロを弾く。もちろん Mac ユーザ。Mac 遊びを教えてくれたのはお兄ちゃんだったし、わたしがピアノを始めるきっかけになったのもお兄ちゃん。たぶん、お兄ちゃんがあっちこっち行ったりしてるの見てて私もいきたいなっておもったんだと思うし、いろいろと私に影響を与えてきた人物なのだ。

小学生のとき、お兄ちゃんは教育テレビで朝6時くらいからやっていた「高校化学」をビデオに録画して超熱心に見ていた。よくわかんない化学式とか知ってて、部屋に謎の化学薬品とかあったりして、子供ながらに「お兄ちゃんはすごいなー」て思ってた。化学だけでなく天体にも詳しかった。叔父さんにもらった天体望遠鏡で星をみていた。部屋には月面地図。お兄ちゃんに聞けばなんでも教えてくれた。彼は小学校6年生のとき、ひとりで電車で九州一周旅行した。小学校6年生ですよ。九州ですよ。ひとりでですよ。しかもお兄ちゃんは背がちっちゃいので実年齢より下に見える。出す親も親だよなあ。いや、いい意味でね。さすがだようちの親は。

小学生ぐらいまでは仲良し兄妹だった。仲良く一緒に電車のってピアノのレッスンとか行ったりしてた。でも中学生ぐらいからかな、だんだんそうでもなくなってきた。高校生ぐらいのときは、ほとんど口をきかなくなってたとおもう。

神経質な人なので、私のやることなすこと気に障ったみたい。こと大学4年間はすさまじかった。常に冷戦状態なんだけど、ごくたまにぶつかりあうと血を流す惨劇。わたしは、常に自分の存在を否定されているようでつらかった。お兄ちゃんがなんでそんなに私を目の敵にするのかがわからなかったし、意味もなく憎まれているようで苦しかった。

でも、1年くらい前からお兄ちゃんが一人暮らしをはじめて家を出て行った。距離と時間を置いたら、なんかちょこっとずつ状況はよくなってる気がする。そう思いたいだけかもしれないけど。今は、なんでお兄ちゃんがあそこまで私に辛くあたっていたのかがわかるようになってきたし、私もお兄ちゃんもちょっとは成長したんだとおもう。一時期はほんとに辛かったけど、今はだいぶ落ち着いたかな。こーいうことをここに書けるようになったくらいだし。

ニー…じゃなかった、大学院生のお兄ちゃんは、この夏休みあっちこっち行ってる。聞くところによると、私がこないだ西に行ってきたちょっと前に鳥取砂丘とか行ってたらしい。ニアミスだ。山も登ってきたらしい。電車でも行ったし、バイクでもどっか行ったらしい。で、こんどは広島にいくらしい。アクティブだなあ。

一度お兄ちゃんとサシで飲んでじっくり話をしてみたい今日この頃なのだ。まあ、それを実現するにはもう少し時間がかかりそうだけどね。でも、いずれできる日が来るんじゃないかなあと、お兄ちゃんがお土産に置いて行ったうなぎパイを食べながらおもったりしている。

そーゆうお兄ちゃんがいます。
某あにきのようにやさしくはないけど、やっぱり私のお兄ちゃんなのです。

は。
また長文を書いてしまった。

父の日

20060619あっ 父の日忘れてた。でも既に時計をぷれぜんつしてあったのでおk。父上いつもありがとん。写真は父上の髪を切る母上。父上の髪を切り続けて30年。これからも母は父の髪を切っていくことでしょう。父の髪の毛がなくなるその日まで。

サッカードローでしたね。うーん残念。スキンまで作って応援したのに。しかし川口はすぎょイね。神だね。

試合中父上が、「オフサイドって何?オフサイドって何なの?」ってしつこいので、ググれ!と一喝してやりました。
中学生のとき、シュート!読んでて、クラスの男子(サッカー部)に同じ質問を何度もしてたのはナイショです。

トシ・・・サッカー好きか?

オカン

東京タワー読んだ。
リリーさん好きだったけど、なんかもっと好きになった。
親、大事にしないとっておもった。

今日は母の日。
お母さんに借金してケーキ買った。
母上いつもどうもありがとう。
Mother's Day 2006