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ピアノキター

new!!
電子ピアノだけどね。音がだめとかなんとか文句たれといて、納入されると…うひひ。テンションアゲアゲです。うれしいー!! 自分の楽器がやってくるって幸せなできごとね。うきうき。さっそく決めていたポジションに設置。うんうん、イイネイイネ!

[追記]
搬入の様子
Carrying

YAMAHA の電子ピアノのこと

今日は銀座のヤマハで電子ピアノの試弾をしてきた。 DGPシリーズ DUPシリーズ 。グランタッチってやつで、DGP はグランドピアノ方式のアクション、DUP はアップライト方式で、より本物のピアノのタッチに近い電子ピアノだそうだ。なるほど、打鍵の感触は確かに生のピアノっぽい。DGP はグランドに近く、DUP はアップライトに近いらしいけど、DGP のほうがよりしっくりくるかんじ。

ただ、音はだめ。だめっていうか…音そのものはコンサートグランドからサンプリングした音らしいので、まあそうなんだろうけど、やっぱりどうしてもデジタルの音なんだよな…。音の響き方が全然違う。まあ、電子ピアノにアコースティックの音を求めることじたいがそもそも間違ってるんだどうけども。よろしくなかったのが、その電子ピアノの真後ろに本物のグランドが置いてあったこと。だめだだめだ、C3 やら C5 と比べちゃいけないいけないとおもいつつ、さわる。打鍵の感触、そして豊かな響き。ああ・・・恍惚。電子ピアノを買うつもりで行ったのに、グランドピアノが欲しくなって帰ってきますた。なんかもう実家にグランド買って、今あるアップライトを私が持ってけばよくね?ていう。

まあグランドを買うとかは非現実的だとして、なんだかんだで DGP は60万近く、DUP でも50万近くするわけで、そうなってくるとアップライト買えちゃうよねっていう話で。でもやっぱしょぼいマンションだと音が響いちゃうだろうし、電子ピアノなら夜でも弾けるし、Mac につないで遊べるし、クレーン沙汰にもならなくて済むし。将来的にはグランドを買いたいっていうか嫁入り道具はグランドピアノって親とずっと約束してるんで、まあ嫁に行けなかったら一生アップライトなんだけど、そうなったらなったで夜の練習用とかにもできるしね、とか考えてなんとか自分の思考をプラスの方向にもっていこうとがんばってるところです。じゃないと買えないーー。でもピアノのない生活はいやだーーー。これ以上ピアノと離れるのはいやだもん。

そんなわけで、とりあえずヤマハでいっぱい弾いて、「こういうもんなんだ、こういうもんなんだ…」って自分に暗示をかけておきました。ここはもう割り切るかないな。時々家に帰って、あるいはスタジオとかでガシガシ弾きましょう。あとは、えーっと、親と相談。。。
20061001

pianoforte

今ちょっと中古でアップライトピアノ探してます。いろいろと条件を満たすものは安くても30万はするなあ。。。クレーン沙汰になるからそっちもすんごいお金かかるし。あうー。

ピアノをただの物置きにしてるそこの君!
私にくれ。

ピアノのこと

ピアノが弾けない。

もう、「趣味はピアノでーす♡」なんて言えないぐらい弾けなくなってる。レッスン行かないと「練習」をしなくなってしまってだめだ。18年間レッスン通って積み上げてきたものが崩れるなんて…もったいない!おばあちゃんになってもピアノは弾き続けるんだもん。だから練習をする。ちゃんと。少なくとも毎日弾く。お兄ちゃんは家を出たし、妹もやめてしまった。私まで弾かなかったらこのピアノがかわいそうだ。調律もしてあげなきゃ。

鍵盤に指を走らせる快感。何百年も前の天才が作った素晴らしい音楽を、自分が奏でることのできる幸せ。そしてそこから学ぶこと。音楽の喜び。

取り戻すには時間がかかるだろうし、もう前みたくは弾けないかもしれない。でも、ピアノを弾くって、私にとってはやっぱりとても大切な営みなんだ。

フジ子ヘミング

20051031フジ子ヘミングというピアニストがいる。普段クラシックを聴かない人でもその名前ぐらいは知っているであろう、超売れっ子のピアニスト。しかし私はどうも彼女の演奏を好きになることができずにいた。ドラマになるような話題性だけが先走ってるような印象をなんとなく最初に持ってしまったためかもしれない。彼女の数奇な運命に同情しつつもなんだかその話題性を助長するためのもののように捉えてしまう。まあ、単なるひねくれ者なのかもしれないが。それを抜きにしても、実際、テクニック的にそこまでではないというのは私でもわかる。その彼女がなぜあんなにもたくさんの人を惹きつけるのか。

昨日の夜、テレビのおいてある部屋でぼんやり本を読んでいたら2階からバタバタと父親がおりてきてテレビをつけた。なんだなんだと思ったら、フジ子ヘミングの演奏会の放送だった。一目見てわかるその人をみて私が「フジ子ヘミングか」とつぶやくと父は「なんだ、知ってるのか」という。当たり前だ。父は自分の部屋のテレビの写りが悪いので下におりてきたようだ。普段クラシックを聴かないわけでもないが、そこまで積極的に聴く姿勢をとる父は珍しい。

正直、彼女の人気はその話題性によるもので、ドラマなどの影響もあって一時的なものなんじゃないかとすら思っていた。しかし今でも、彼女の演奏会のチケットは手に入りにくく、CDもクラシックとしてはほかにないほど売れているらしい。なんでなんだ?なんでこうも人をひきつけるんだ?私もなぜか読んでいた本をおいて彼女の演奏を聴いていた。

今まで何度かCDなりTVなりで聞いてきたフジ子ヘミングその人の演奏。音楽。何度聴いてもそのテクニック的な緩さというのは拭えない。さらに言ってしまえば、彼女の演奏を聴いていると、ちょっと「ケッ」という感じがする。なのに、聴くたびになんだか言葉にしがたいいろんなことを感じる。きっと、それが彼女の魅力なんだとおもった。人生経験からくる味というのはいろんなアーティストから感じることができるが、彼女の場合もその人生そのものが音楽からあふれて、人を惹きつけてやまないんだろう。「ケッ」と思いつつ、やっぱりどこかすごいと思わせる、何か。技術だけでない芸術性。

Charlie Parkerが、「音楽とは、君自身の経験であり、思想であり、知恵なのだ。もし誠の生活を送らなければ、君の楽器は真実の響きをもたないであろう」と言っている。フジ子ヘミングのそれはまさに、「真実の響き」なんだろう。

好き嫌いはともかく、彼女が人を惹きつけるそのわけが、少し見えた気がした。

ツェルニーの思い出

20051005今日はツェルニーについて書こうとおもいます。

ツェルニー[Czerny, Karl 1971-1857]
ピアノを弾く人であれば、誰もが一度は通る道だろう。バイエルが終わると、大抵ツェルニーの100番練習曲をやる。しかしこれが恐ろしくつまらない。演奏技巧修得のためなんだから、なんてわかるのも大きくなってからのこと。親とかに無理矢理習わされてるとかそういう人たちは大抵このへんでピアノはつまんないもんだと思ってしまい、やめてしまう。これは実にもったいない。100年も200年も前に生きた天才が作った素晴らしい音楽を、聴くことができる、さらにそれを自分が奏でることができるということはすごく幸せなことだと思う。音楽の喜びである。

私は自分でやりたいと言ってピアノを習い始めたのだが、やはりこのツェルニーは面白くなくて、練習もさぼりがちだった。100番、30番、40番とやったものの、全く真面目にやっていなかったため、進み方も遅い。先生がとてつもなく優しい方だったのでくどくど言われなかったのも災いしたのか。それでもピアノを弾くことは大好きだから、やめることはなかったけれど。そして、40番の途中あたりでショパンのエチュードに切り替えてツェルニーとはおさらば。

しかし、高校大学と進むにつれてショパンだのベートーヴェンだのシューマンだの、それなりに大きな曲を弾くようになってからは「ああ、チビっ子の時、もっとまじめにツェルニーやっていれば!」と、何度となく後悔した。悔やんでも悔やみ切れない。ベートーヴェンのソナタとかやっている時は特に。大人になった今だからこそ、その大切さがわかる。音楽でも勉強でもなんでもそうなのだが、やはり物事において基礎というのは大切なのだと痛感。

ツェルニー。子供の頃はちっともわかっていなかったけれど、今一度、正面から向き合ってみるのもいいかもしれない。

戦場のピアニスト

戦場のピアニスト [DVD]戦場のピアニストを、今見てたんです。今ごろなんですけど。なんで今まで見なかったんだろ私。謎。

苦しい。あんな苦しいバラ1、かつてあっただろうか。。。欲を言えばはしょらないで10分全部弾いてほしかったけども。ドイツ軍の偉い人。ああもう。最後哀しかったけども。

そういえば、シンドラーのリスト思い出した。モノクロで、あの赤いコートだけ赤い。で、最後カラーになる。これも全体的にモノクロな印象。でも最後はカラーなかんじ。画的に似てた。ホロコーストだし。でも内容はちがう。爆撃の音とかするんだけど、なんか静かな印象だった。

なんかこう、淡々と出来事を描いてる感じなんだけど、でもなんかほんと、ひたすら苦しかった。みんな死んじゃって、一人で逃げて、意味あるのかなとか思ったり。さっさと殺されちゃった方が楽なんじゃないかなとか。でも、あのピアノを弾くシーンはほんと、もう、言葉にならん。

戦争とか、ホロコーストとか、まあそれを題材にはしてるんだけど、それよりも人間の暗い部分ってゆうかそんなのを感じました。だからこんなに苦しかったんだろうな。。。これ、確か実話だったよね。はーーー。でもまあ最後は、(自分の気分的に)救われました。はあ、よかった。

明日はバラード第1番、弾くでしょうね、私。鬼のように弾くでしょうね。弾けなくなってるだろうから練習しまくるでしょうね。あーできることなら今すぐにでも弾きたいわ。。。仕方ないのでアシュケナージの演奏で就寝であります。

シューマンの幻想曲キター

今、ほんとにたった今、これ弾いてたのよ。うわーへたくそになったなorz と崩折れてたら、テレビからおんなじフレーズ。お茶の間に飛んできました。NHKで思い出の名演奏、ピアノはシューラ・チェルカスキー。

この曲は、私がピアノの発表会で弾いた史上最も完成度の高い演奏ができた曲だと思う。がんばったよなー。ああーここ、まじで涙でてくるよここ。(Im Legendentonのとこ)

私もこんなおじいちゃんおばあちゃんになってもピアノ弾き続けたいな。弾き続けるけど。

あーレッスン行きたいなぁ…

樹樹の会

20050613みなさん「樹樹の会」ってご存知でしょうか。知らないですよね。知ってる方いたらすごい。ググっても出てきませんね。ピンと来た方、このプログラム(→)見覚えあるよって方、つーか私も出てたよって方、万が一いらっしゃいましたらぜひコメントを。何かってゆーと、ピアノの発表会なんです。私が長年師事してきた先生のとこの。

その「樹樹の会」が、今年は開催できないようなのです。理由は、出演する生徒さんがいないから。

「樹樹の会」は、1981年に始まり、毎年7月に開催されてきました。家にはプログラムが第6回からありまして、いちばん多い時で35人の生徒が出演してました。でもだんだん発表会に出る生徒さんは減り、去年の第23回発表会では出演は生徒6人+先生と弟さんとなりました。今年3月の時点で今年は開催できるか…という話もしていましたが、やはり開催しないということになったようで、淋しいです。

このプログラムを見ていると、自分とか周りの人の成長も辿れるのです。幼稚園のチビっ子がバイエルとか弾いてて、その子供がおっきくなって大学生とかになってベートーヴェンの熱情とかショパンのバラードとか弾くようになる。先生からすればこれすごく嬉しいことだろうな。自分も嬉しいけど。他の生徒さんとかその親とかに、ああいうの弾けるようになりたいとか、自分もピアノやりたくなったとか言ってもらえたりして、ほんと嬉しかった。「あんたの演奏に触発された」系の発言は、へたに「うまいね」とか言われるより嬉しい。ってか、演奏者冥利に尽きる最高の褒め言葉かと。発表会ってそうゆう意味でもすごく自分にとって大切なものだった。もちろん本番でいい演奏をするための練習とか曲ひとつできるまでの過程ってのもすごく大事だけども。人に聞かせるってのも音楽の大切な要素ですからねえ。

まあとにかく、いろんな歴史が積み重ねられてきたわけで。その発表会が今年はないってのがすごく淋しいですね。。。どちらにしても大学卒業してレッスンに行けないし出ることはできないのですが。
Trees