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ポリーニ・パースペクティヴ 2012

わたくし的ショパンエチュードのデフォルトの演奏はポリーニである。徹底的にテクニックを追求し、聴く者を圧倒する迫力と説得力。その演奏を聴くだに、ああ、ポリーニってやっぱすごい。そう思わずにいられないのである。

そんな彼の生の演奏を聴くことができるチャンスは、もうそうそうないかもしれない。今回の公演、ポリーニの健康上の都合でチケット発売を延期していたのだが、一部内容を変更して行うことになったのだ。というわけで、清水の舞台から飛び降りる覚悟でチケットを入手し、本日サントリーホール行ってきた。
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前半はマンゾーニ II rumore del tempo 。日本初演。ヴィオラ・クラリネット・打楽器・ソプラノ・ピアノという編成で、ピアノはポリーニでなくニコラス・オッジ。これ系の音楽聴くといつも、ネコ助さんの現代音楽も負けてないなぁとおもうw

そして後半、いよいよポリーニのピアノ。ベートーヴェンのピアノソナタ21番・22番・23番。いやもう、ステージ上を歩く姿とか、もうホントよぼよぼのおじいちゃんって風情なんだけど、ひとたび鍵盤を前にするとその迫力たるや。そりゃもちろん若い頃を考えれば技術的には衰えてはいる。だけど、やっぱりポリーニはすごい、それに尽きるんだなぁ。はぁ。個人的に、自分が昔発表会で弾いた曲というのはどうしても思い入れが強くなるわけで、熱情は必要以上に感情移入してしまうね。あ、そういえばポリーニ歌ってたな。ポリーニって歌う人だったっけw ラストはスタンディングオベーション。素晴らしい音楽をありがとう。今日行けて本当によかったな。ポリーニの音が残ってるうちに、ちょっとピアノ弾いてこよ。

パリ左岸のピアノ工房

パリ左岸のピアノ工房よそのブログで見て即購入したところの T.E. カーハート「パリ左岸のピアノ工房」。はじめこれはフィクションだろうとおもって読み始めたんだけど、どうもノンフィクション・エッセイのようである。だけど、そこはかとなくファンタジックな雰囲気が漂う。

パリに住むアメリカ人の著者が、自宅近くのピアノ工房に出入りするようになり、ピアノと音楽のある暮らしを楽しむ様を描いている。スタインウェイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、エラール、プレイエル、ファツィオーリ。たくさんの素敵なピアノたちと出会い、ピアノと音楽を愛する人たちと出会い、ピアノにまつわる職人の仕事、楽曲や作曲家、ピアノの構造、音楽教育など、いろんなエピソードが紡ぎ出される。著者は昔ピアノを習っていて、また始めたいとおもっているところから始まるので、共感する部分がすごく大きかった。

パリの片隅にあるというこの工房に訪れてみたくなる(著者は「モデルを探そうとはしないでいただきたい」と言っているのだけど笑)。そしてまた、ピアノを弾きたくなる。ピアノと音楽への愛にあふれた、とても素敵な1冊。

ピアニストの脳を科学する

ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム弟が読んでいて面白そうだったので、古屋晋一「ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム」。自身もピアノを弾く著者が、ピアニストの超絶技巧と記憶力を支える脳のメカニズムを脳科学・身体運動学から明らかにする。

いやこれは実に興味深い。わたし自身ピアノを弾くけれど、よく指があんだけ動くなとか、楽譜も覚えようと思って覚えてるわけじゃないけど覚えちゃうわけで、なんとなく不思議には思っていたし、実際ピアノを弾かない人には「すごい」と言われるものだ。音楽を科学するなんてナンセンス、という向きもあるかもしれないけれど、ひとつのアプローチとしてすごく面白いとおもう。人間の身体ってすごいなぁ。まあ、この本を読んだところで今さら超絶技巧を体得することができるわけではないんだけど(笑)。しかし、日々の練習は大事であることは明白。せっかく幼少期からやってきたわけだし、またきちんと練習再開したいなぁ。いや、しよう。まずは、ピアノのイスを定位置に戻すことからw

ヴィーナスクラシックス

またも謎のルートからチケットが回ってきたので紀尾井ホールへ。今回は小菅優 ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズ〈第4回〉というものである。演目は第24番「テレーゼ」、第25番、第15番「田園」、第6番、第21番「ワルトシュタイン」。ベトベン三昧のプログラムだけど、なじみのあるソナタばかりで楽しめた。ワルトシュタインの第3楽章って夢のようにきれいだよねぇ。なんにしろ、ピアノ弾きたくなった。とても。古典派をきっちりやるのもいいなぁ。

引っ越してピアノ搬入してすぐの頃はよく弾いてたんだけど、荷物運び込むにしたがってピアノのイスが踏み台に利用され、物置きになり、現在は MacBook 置き場と化している・・・。なんとかせねば。

ラジオ体操の伴奏譜

返信用の切手を送ればラジオ体操の伴奏譜がもらえると聞き、早速送ってみた。

ほんとにきたーw
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わたしも「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動~」って弾き語りしようとおもって実際に「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動~」って声に出して言ってみたらなんかものすごくバカっぽいんだけど、なんで?

Musik Treffen

毎年この時期の恒例となっている津田理子さんの “Michiko Tsuda Musik Treffen in Yokohama” へ。今年は第4回目、東神奈川のかなっくホールにて。

前半はノイエ・ムジカ東京という若い演奏家たちのアンサンブルとプーランクの六重奏曲など。ノイエ・ムジカの方たちは初々しくて見てるこっちがなんだかドキドキw 後半はシューマンの子供の情景、リストのパガニーニの主題による大練習曲。津田さんのピアノを聴くといつもピアノ弾きたくなる。そういや7月に発表会するとか言ってたな・・・無理だけど。もう発表会やりたいとか言うのやめるけど、でもピアノは弾こうっと。シューマンもっかい譜読みしよ。今度こそ。

どうして?

ショパンのエチュード Op.10-12 「革命」。
この曲のラストのところ、以下のブーニンの演奏では 2:13 あたり
YouTube – Chopin Revolutionary Etude op 10 no 12

ここが、「どうして?」に聞こえるよね、ってレッスンのときにピアノの先生に言われて、それ以来「どうして?」にしか聞こえません。それも、ちょっと切なげな「どうして?」なのです。

どうして?
なんだか泣けてきます。

どうして・・・?

譜読み

譜読みしてる。楽しい。
新しい曲に手を出すのはわりと久しぶりな気がする。
ああ、この曲ってこういう構造だったのか、と納得したり。
すこしずつさらっていくこの感覚、やっぱりいいなぁ。
・・・でもそのうち挫折するんだろうなーw

全音クリアファイル

ちょいと他所で見かけてこりゃ欲しい! とおもいましてですね、ヤマハあたりに行けばあるかなとおもって、楽譜を買うついでにゲットして参りました。
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ピアノを習ったことがある人ならばいちどはお目にかかったことがあるっていうかむしろさんざん泣かされたであろう(そのつまらなさに!)、全音のハノンとツェルニー30番の風貌をしたクリアファイル。ていうかなんでこの2つなんですかね、嫌がらせでしょうかねコレw パデレフスキ版のショパンとかヘンレ版のバッハやベトベンとかもあったら集めたくなっちゃうだろうなー。

母上がクリアファイルコレクターなのであげようとおもう。さぞや喜んでくれることであろう!

シューマンの指

シューマンの指母上がいまシューマンの本を読んでいるとかで、やけにシューマンにハマっていた。それが「シューマンの指」、読み終わったというので借りた。てっきり音楽解説書の類かとおもっていたら、シューマンに傾倒する天才少年を主題にとったミステリだった。

とはいえ、母が「シューマンの本」と言うのも頷ける程度に前半はシューマンやその作品の描写がかなり多いので(まさに音楽評論書のようだ)、クラシック好きとしても楽しめるかんじ。特に、作中で「幻想曲 Op.17」が重要な場面で扱われるんだけど、この曲わたしも以前発表会で弾いて、すごく練習した曲だし、大好きで思い入れもある曲なのでなんか嬉しい。読んでると弾きたくなるもんで、久しぶりに弾く。うん、ヘタクソになっている。悲しい。

物語の中で永嶺修人が言う、「音楽はすでにそこにある、演奏する必要はない」という考えがおもしろかった。なるほどそうなのかもしれない。だけどそのすでにある音楽に少しでも近づくべく、ピアノ弾きはピアノを弾くのだ。

ミステリって普段あまり読まないし、読んでも「読み解く」的読み方をわたしはしない。それにこの本は音楽の要素が大きいからミステリってかんじでもなかったんだけど、終盤の展開はたしかにミステリであった。読後はなんだか夢を見ていたかのような感覚。それはまるで、あの月夜に聴く幻想曲のような。

演奏なんかしなくたって、音楽はすでにある。完璧な形でもうある。楽譜を開く。それを読む。それだけで、音楽が確かな姿でもう存在しているのが分かる。シューマンの指