月別アーカイブ: 2010年1月

三島由紀夫レター教室

三島由紀夫レター教室ここ半月ほどたてつづけに某作家の長編をいくつか読んでいて、いろいろ思うところもあり哀しくなったりしょんぼりしたりしつつもおもしろく読めてはいたんだけど、いいかげんウンザリしてきたので全然違うのが読みたい!
てなワケで、かなり前から積んであった「三島由紀夫レター教室」

5人の登場人物がやり取りする手紙で話はすすんでいくだけど、いろんな人間模様が伺えてかなりおもしろい。40年以上も前の作品なのに、そのユーモアは過去のものじゃないかんじ。すごいなぁ。ごいっしょにおやすみになりたいてw ゴキブリと栗とかw あと、若さを失っていく真っ最中である身としてはちくりと胸を刺す一節もちょこちょこ(笑)。三島の作品てこんなにくだけたものもあるんだね。

この本はいちおう文例集としても使える、みたいなことになってるらしいけど、「肉体的な愛の申し込み」だの、「愛を裏切った男への脅迫状」だの、「借金の申し込み」だの、「心中を誘う手紙」だの、あまり実生活に役に立ちそうもない話が多いんだけど、「英文の手紙を書くコツ」ってのはなるほどなぁといたく感心した。あんまり機会ないけど、もしあったら実践してみよう。

なんだか誰かに手紙を書きたい気分になった。突然手紙を送ったら、あなたは困るかしら?

情熱

最近、弟がやたらピアノウマくなっててビビっている。

うちの兄弟は、兄、私、弟、妹といて、弟だけピアノを習っていなかった。でも、弟は昔から好きになったバンドなどに影響されながら、ギター、ドラムとやってきて、最近はピアノにまで手を出している。で、完全独学で、なんか弾いちゃってるのだ。わたしなんて 20年習って弾いてきたというのに、なんということだ。

す、すごいね、と言うと、弟はこう宣った。
「情熱だよ。あの曲をなんとしても弾きたいっていう情熱だけで弾いてる」

あぁ、それだ。パッションだ。わたしにはそれがなくなってしまっているのだ。ものごとに対する情熱が薄れるって、なんて悲しいんだろう。

でも、それで完全になくしてしまいたくない。いや、なくすことはできないのだ。そしてわたしは鍵盤に向かう。ヘタクソでも。とにかく。

ヨコハマフォトフェスティバル

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「諦めるな! 諦めたらそこで終わりだぞ!」
松岡修造の声が聞こえた気がした。

いつまでたっても脱水の終わらない洗濯機を無理矢理止めて洗濯物を干す。手がかじかんでうまく干せない。もどかしい。2回ほど洗濯物を落としてしまう。焦っている。こんなに焦ったのはいつ以来だろうか。

とにかく洗濯物を干し終え、カメラをぶら下げ急いで家を出る。目指すは横浜・赤レンガ倉庫。すこし寝坊して起きた今朝、twitter のタイムラインでヨコハマフォトフェスティバルなるイベントが催されていることを知る。ただの写真のイベントならこんなに慌てることはない。それが今日は 13時から、AOKI takamasa がトークライブを行うというのだからこれは急ぐしかない。

彼の作る音楽が好きだという贔屓目を抜きにしても、AOKI takamasa の撮る写真はいいなぁと、ずいぶん前から彼のブログをみてはおもっていた。その青木さんが、「写真と音楽の深く分かちがたい関係について語る」というのだから、これは見過ごせない。ブログで告知していたのに、コロッと忘れていたのだ。阿呆な自分が恨めしい。会場は定員 50名で、整理券を配って云々書いてある。時間的にギリギリで、もしかしたら入れないかもしれない。そう思って一瞬諦めかけた。しかしそこで、修造である。あの熱さが暑苦しく、そして胡散臭く感じられてあまり好きではない。だけどなぜかここで誰かが Retweet していた修造 bot の声を聞いた気がして、諦めてはならぬと思ったのだ。諦めたらそこで終わりだ。

駅まで走り、乗り換えでも走ったかいあって、会場に着いたのは開演の 20分前くらいだった。席はまだ人がまばらだった。なんだ、余裕じゃんか・・・。ホッとすると同時に、修造に感謝した。さらに青木さんの相手役(?)である沖本さんという人が遅刻していることもあり、なんとなくゆるゆるとそのライブトークははじまった。

沖本さんが来るまでとりあえず雑談、ということだったのだが、どうも話が深い方向へ向かっていく。海外で生活することでみえてきた日本、そして現代の金融主義的社会にあって、西欧文化を吸収しながら成長してきた日本がこれからあるべき姿。なんか、そんなようなこと。ああ、ノートと鉛筆を持っていくべきだったと本当に後悔した。そして沖本さんが無事到着し、改めてライブトークが始まった。

まずは青木さんがこのイベントのために組んだ写真のスライドショー。やっぱり、この人の撮る写真は好きだ。日常のスナップがメインなんだけど、被写体との距離感とか、その空気感とか、視点とか、とてもいいなぁとおもうのだ。青木さんが撮りたいとおもうのは、今の人類の文明が過去のものとなったときにおもしろいと感じられるものなんだそうだ。なるほどおもしろい。それから、ファーストショットが大事。「あっ」て思った瞬間。そうなのだ。何度も何度もしつこく撮っても、結局いちばん最初の1枚を超えられるのは撮れないことって本当に多い。同じだ。

青木さんの使用カメラは Nikon FM3A, Contax T3, Bessa R3A だそうだ。ニヤリ。そして FM3A につけてるのはわたしが F3 につけているのとおなじプラナー。ニヤリニヤリ。デジタルカメラで撮っていたのが、ブログに載せるためにもっといい写真を撮りたいと、フィルムに戻ってきたそうだ。

デジタルは演算の結果、フィルムは現象の結果。なるほどとおもった。わたしも去年あたりからフィルムで撮り始めて、やっぱり銀塩の持つ雰囲気というか、空気みたいなものがいいなぁとおもうわけだけど、銀塩写真ってのは化学反応なわけだから、その時の空気をたしかにそこにとどめているのだ。もちろんデジタルのよさは言うまでもなくて、デジタルでバカスカ撮っていたからこそ写真のごく基本的なことは(たぶん)理解できていたし、それを銀塩でも実現できる。テクノロジーの進化は可能性を広げる。青木さんにとっては音楽もおなじであって、楽譜も読めない楽器も弾かないけれどコンピュータがあるから音楽ができた。でもまるっきりコンピュータ任せなわけではなく、その中に人間の(自分の)バイオリズムを反映させているそうだ。写真にしても音楽にしても、デジタルとアナログ両方が必要なのだ。光が当たれば影ができるように、ものにはいいところとわるいところ(というか、用途にそぐわない点)があって、だからアナログが完全に消えてなくなってしまうことはないだろう、と。

話しながら、いろんなスライドショーを見せてくれた。たぶん思いっきりプライベートな物も多かったはず。すっごい得した気分。車シリーズ(彼は車が大好きだ)、自転車シリーズ(これはちらっとだけ)、琵琶湖、LUCKY SHOTS、などなど。美術館のセキュリティの人を隠し撮りシリーズなんかいいなー。日本じゃできないけど。それから特によかったのがなんといっても「坂本さんselecetd」。坂本龍一のツアーに同行して写真を撮ってたらしい。ブログにもすこしアップしてあったけど、もっとたくさん。坂本龍一なんだけど、「世界の坂本」というよりは「近所のピアノのうまいおじさん」みたいな雰囲気。それがすっごくいいんだよなぁ。じっさい、青木さんにとって坂本さんは「ピアノをすごくうまく弾くスマートなおじさん」だそうで(笑)、そのかんじが写真に現れているんだよね。すごくいい写真ばかりだった。あんなふうに撮れたらどんなに素敵だろう。

今日は本当に行ってよかった。今年はちょいと銀塩に力を入れたいということもあって、すごくいい刺激になった。青木さん、朝つぶやいてくれた @ytakah さん、そして修造を Retweet していた皆さん、本当にありがとう。

そしてわたしは帰宅後、そっと @shuzo_matsuoka を follow した。

センター試験の日

センター試験の日は、いつも雪の降ってるイメージ。わたしが受験生だった年はどうだったっけ? センター試験受けなかったから覚えてないや。できの悪い子だったから国立はだめだったんだ。

今日は雪ではない。よく晴れていた。寒くて、空が青くて。写真はすこし。F3 で5枚くらい。白無垢の花嫁さん、どういうふうに撮れたかなぁ。

ウロウロしてるうちに本郷のあたりに出た。東京大学に行ってみたけど、センター試験なので構内には入れなかった。そして昨日と同じ道を歩いて帰ってきた。足がひどくむくんでいた。ネコがわたしを待っていた。本が3冊届いていた。

彼女は言葉で記憶する

以前から、ときどき覗きにいくブログがある。RSS リーダには登録していない。でもふと読みたくなるときがある。そしてブラウザのアドレスバーに URL を直打ちして読みに行く。

彼女の書く文章がとても好きだ。かなりの読書家なので、それに裏打ちされた文章力はもちろんのこと、彼女自身にとても惹かれてる。んだとおもう。一度だけお目にかかったことがあるけど、もう私のことなんか覚えていないだろうなぁ。

そのブログには写真がない。旅行などの記事を上げても、写真はほとんど載せていない。だけどそれがかえっていいような気がしていた。文章から広がるから。

今日なんとなく過去ログを眺めていたら、少しだけど写真があった。それから彼女は昔、いつも一眼レフをぶらさげて写真を撮っていたということを知った。そして撮らなくなった経緯を知り、なんだかとっても納得すると同時に、彼女の撮る写真をもっと見てみたいとおもった。彼女はどんなふうにファインダー越しの世界を切り取っただろう。どんな景色を見て、どんな人を見て、シャッターを切ったんだろう。

でも、それはおそらく見ることはできない。彼女は言葉で記憶する。わたしは・・・いろんなもので記憶することにする。今までとおなじ。

白い闇

年明けてからろくすっぽ写真らしい写真を撮ってなかったんだけど、雪山にてよーやっと写欲 MAX な風景に出会えた。

営業終了後のゲレンデ。もちろん誰もいない。ライトも消えて真っ暗な中、遠くの方にナイターの光でうっすらと闇に風景が浮かぶ。静謐な中に、山の気配を感じる。空には雲と霧と、星。とにかく素晴らしくいい雰囲気なのだ。

この空気感、なんとかカメラに収めたい。しかし如何せん暗い。ゲレンデのど真ん中、カメラを固定できるような物があるはずもなく、ストック立ててその上に GR 置いてみたりしたけど安定せず、断念。ISO 800 F1.9 でシャッタースピードは 1/2 。GRD3 をもってしてもこれが限界。ブレブレ覚悟でシャッターを切る。

三脚持ってリベンジに行きたいくらいだけど、この雲や霧の感じはそうそう出会えないんだろうなぁ。「あの日あの空拝めるのは あの日の僕らだけ」。
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