読書」カテゴリーアーカイブ

花腐し

花腐しなんとなく松浦寿輝が読みたくなり、そういえば芥川賞とってるんだなぁとおもって、「花腐し」。にわか地上げ屋となった中年男が、その立ち退かない住人の男と酒を飲んでは、死んでしまった恋人や裏切られた友人といった過去の意識に引き戻される。こういう陰鬱な雰囲気は好きだ。雨の気配もその陰鬱さを増していていい。この人の小説って、現在と過去であるにしろ現実と仮想であるにしろその境があやふやなようなイメージなんだけど、切り取った時間が留まっているような、そんな感じがなんか好き。とにかく暗いけど、それもまたよし。

作中で「意識なんていうお化け」っていう一節がでてきた。人間なんてのは元はと言えば蛋白質の寄り集まりで、なんやかんやしてるうちに意識だとか心だとかいうお化けが生まれちゃった。お化け。本当にそう、お化けだよなぁ。ちょっとずれるけど、わたしは自分が死んで、もしまた自分という意識だとか存在があったらとおもうとぞっとする。べつにひどい苦労とか不幸を味わってるわけじゃない、むしろ日々楽しく過ごしてるけど、それでも人生なんてもうまっぴらごめんだな。

塵が寄り集まって、ほんの一瞬だけある形を作ったと。しかしそういう不自然なことは続かないからたちまちほどけて散ってゆく。その一瞬の形というのがあんたの人生の全体なのよ。何とも爽快じゃあないですか

漢字と日本人

漢字と日本人高島俊男「漢字と日本人」。たいへんおもしろく読んだ。日本語のことを改めて知ることができた気がする。

日本語は漢字の裏付けがなければ意味が確定しない、文字が言語の実体なのだ。わたしは会話の流れの中で時折パッと聞いて意味のとれない単語が出てくると、「それどういう字?」って聞いたりする。まさに、だ。しかし大抵は前後の文脈から判断して、「その語を耳にした刹那、瞬間的に、その正しい一語の文字が脳中に出現して、相手の発言をあやまりなくとらえる」のである。それも、意識することなくごく自然に。

そう、無意識であるがゆえに、漢字がいかに重要な役割を担っているかに気づかず、漢字を廃止しようという動きがでてきた。しかし明治維新後の日本語というのは西洋語・西洋の概念を翻訳したものが大多数だという。その中で、漢字がなければ(というか漢字に訳された西洋語や西洋の概念がなければ)政治も産業も学術も教育も動かなかったのだ。

漢字はもともと日本語をあらわすための文字ではないから、漢字を使うのは無理がある部分があるけれど、これまでずっと使ってきた以上もう漢字なしには日本語は機能しない、うまくつきあっていくしかないのだ、というのが著者の主張。わたしはわりと漢字の使い方を意識するんだけど、この本読んでその意識を新たにした。

言語というのは、その言語を話す種族の、世界の切りとりかたの体系である。だから話すことばによって世界のありようがことなる。言語は思想そのものなのだ。

PLUTO

PLUTO (1)浦沢直樹「PLUTO」。これ買ったのもう3年くらい前じゃなかろうか。浦沢直樹が鉄腕アトムをリメイクとかすげえ、で買ったにもかかわらず、その存在すら忘れかけていた。読み終えた別の本を戻すときに、書棚の片隅で埃をかぶっている1巻を発見。で、読み始めた。1巻だけだからなんとも言えないけど、楽しみではある。

あぁ、でもつづきを買うモチベーションが上がらないー。誰かが持ってたら借りよう、みたいな。。あ、でももう完結してるんだね、よかった。。

高円寺純情商店街

高円寺純情商店街早いもので六月もおわり。六月といえば蠅取り紙だと、わたくし今月の頭にここで申し上げましたが、去年もまったく同じことを言っていたことに先般気づきまして、コリャ「六月の蠅取り紙」再読せばなるまいという謎の使命感により、ねじめ正一「高円寺純情商店街」

中学生のときに国語の教科書で読んだ「六月の蠅取り紙」は、この中の第2話。どんな話だかは忘れてしまっていたけど、その蠅取り紙にハエがくっついてる描写が気持ち悪かったという記憶だけは残っている(笑)。ハエはまあいいとして、登場人物たちもなんだか味があって、ちょっといいかんじの商店街の人々と乾物屋の日常。化粧してもらって舞い上がってるおばあちゃんとかカワイイ。ラストは火事の話なんだけど、商店街では消防車に消火活動をされては困る、という話があって、なるほどな〜とおもった次第。

高円寺に実在するこの商店街は以前は「高円寺銀座商店街」だったらしいけど、この作品にちなんで「高円寺純情商店街」とその名前を変えたんだとか。ちょっと気になるのでこんど機会があったら行ってみようとおもう。

面白すぎる日記たち

面白すぎる日記たち―逆説的日本語読本)鴨下信一「面白すぎる日記たち」。近代以降の日本人をメインに、幅広い時代のいろいろな人物の日記をチラ見していく。落ちぶれてグチってばかりいる古川ロッパ、体温と借金を必ず書く石川啄木、病床に臥せているわりにやけにグルメな正岡子規、引き取った姉妹に対して悶々としている心情から夫婦喧嘩から何から全部細かく記述する徳富蘆花、徹底的に自分が直接関与することだけを書く岡本綺堂、簡潔きわまりない記述の小津安二郎、等々。こんなにもいろんなスタイルの日記があるのかと大変面白く読んだ。A級戦犯二被告の日記の読み比べはかなり興味深い。あと藤原定家の天候に関する語彙の豊かさには感服した。

1999年刊行なのでブログには触れられていないんだけど、数年前は「ウェブ上の日記」とされていたブログも、SNS だとか twitter だとかいろんなウェブサービスが出てくる流れと一緒に、その位置づけみたいなものがずいぶん変わってきた。わたしもこのブログと10年日記と毎日つけている日記野郎だけど、自分の日記のスタイルというものをなんだかちょっと考えたりした。

では最後に小津安二郎風に今日の日記を書いてみよう。

五月二十六日(水)
レンズ来る 友人にメール 雨降る

江古田ちゃん

臨死!! 江古田ちゃん 1瀧波ユカリ「臨死!! 江古田ちゃん」。友人とも後輩とも同僚とも役員ともつかない男が「主人公の女がくにちゃんっぽくてマジおもしろいから読んでみ」というので買ってきた。しかしなんだね、あの男はわたしをいったい何だとおもってるんだろうね。うん、まさにわたしじゃないのこれ。

ただ残念なのが、わたしは江古田ちゃんのように美人でもなく、江古田ちゃんのように男にモテず(江古田ちゃんもモテるというよりは、セックスアピールがあってわりと誰彼かまわず寝るというだけなんだろうけど)、江古田ちゃんのように髪が多くないあたり、救いようがないのですが。あと、わたしは全裸じゃなくて錦糸町スタイルです。ヌードモデルのバイトもフィリピンパブのバイトもしてません(できません)。廃棄のドーナツも盗みません。だけど泣けるほどに共感してしまう。江古田ちゃん、あなたはわたしですか?

毒あり笑あり涙あり、女の真実ここにあり。まず万人受けはしないとおもうけど、わたしはかなりツボった。泣かないスネない干渉しない、江古田ちゃん系イイ女。打倒猛禽! ジーク・ジオン!(ガンダムの素養はありません)

ひとり暮らし

ひとり暮らしたまたまなんだけど、ここんとこ読む本にエッセイが続いた。で、谷川俊太郎「ひとり暮らし」。なんかまったりとして穏やかで心地いいかんじ。ユーモラスで、それでいてときどきはっとするようなこと書いてる。家族のあり方とか、友人との関わりとか、メディアアートに対する考えとか、音楽のこと、そして詩のこと。興味深い。詩人の日常ってなんだか仙人みたいなのを妄想しがち(?)だけど、普通の素敵なジイサンだなぁと。

この人、中学とか高校の合唱曲の作詞でよく出てきて歌ったもんだけど、文章もなんかいい雰囲気で好きだなとおもった。

生きる技術は名作に学べ

生きる技術は名作に学べ 中学1年だか2年だか忘れてしまったけど、とにかく中学生のときに国語の先生が、「君たちが中学生であるうちにぜひ読んでほしい」と言ったのが、ヘッセの『車輪の下』だった。わたしは言われるまま、文庫本を買ってきて読んだ。

「生きる技術は名作に学べ」の冒頭、著者はこう書いている。

おそらく、こうした小説を読むことができる機会は、18歳までのあいだに限定されているのだと、わたしは気づきました。もし、18歳までにこれらの小説を読まなければ、その機会はほぼ永遠に失われてしまうのだと。あの、クラスにひとりだけいた読書熱心な子ども、彼らだけが、名作を集中して読むことのできる限定されたタイミングをみごとにとらえ、その読書経験からたくさんの滋養をひきだし、たくわえたのです。

なるほどそうかもしれない。現に、わたし自身(もちろん読書熱心な子供ではなく、そんな子供を遠くから眺めている側のその他大勢だった)、この本に取り上げられている10作のうち、半分は高校生までに読んでいる。だけどもう半分は、タイトルや作者やあらすじは知ってるけど、じっさいに読んだことがない。このままいくと、なんとなく手に取る機会を得ないまま過ぎていっていたとおもう、たぶん。

そんな名作たちを、改めて読んでみたいとおもった。未読の作品はもちろん、昔読んだのも。アンネがそんなウザい女だったなんて、子供の頃ピアノの先生の家にあった『アンネの日記』をレッスンの合間に読んでた当時、ぜんぜん気づいてなかったもの(笑)。たとえ結末を知っていても、読後の感動が薄れることのないような名作たちだ。いま読んだら、きっとまた違った読書経験となるだろう。

三島由紀夫レター教室

三島由紀夫レター教室ここ半月ほどたてつづけに某作家の長編をいくつか読んでいて、いろいろ思うところもあり哀しくなったりしょんぼりしたりしつつもおもしろく読めてはいたんだけど、いいかげんウンザリしてきたので全然違うのが読みたい!
てなワケで、かなり前から積んであった「三島由紀夫レター教室」

5人の登場人物がやり取りする手紙で話はすすんでいくだけど、いろんな人間模様が伺えてかなりおもしろい。40年以上も前の作品なのに、そのユーモアは過去のものじゃないかんじ。すごいなぁ。ごいっしょにおやすみになりたいてw ゴキブリと栗とかw あと、若さを失っていく真っ最中である身としてはちくりと胸を刺す一節もちょこちょこ(笑)。三島の作品てこんなにくだけたものもあるんだね。

この本はいちおう文例集としても使える、みたいなことになってるらしいけど、「肉体的な愛の申し込み」だの、「愛を裏切った男への脅迫状」だの、「借金の申し込み」だの、「心中を誘う手紙」だの、あまり実生活に役に立ちそうもない話が多いんだけど、「英文の手紙を書くコツ」ってのはなるほどなぁといたく感心した。あんまり機会ないけど、もしあったら実践してみよう。

なんだか誰かに手紙を書きたい気分になった。突然手紙を送ったら、あなたは困るかしら?

真相

真相 (双葉文庫)横山秀夫はクラマーズ・ハイ以来だなぁとおもいつつ手にとる。短編集なんだけど、ひとつひとつがおそろしく読み応えのある作品。救いがなくて読んでて辛いけど・・・。

特に秀逸なのが「ホール18番」。精神的に追いつめられた人間の心理描写は、息が詰まるほどの緊迫感だった。表題作「真相」は、ちょっと、別の意味でも辛い。あぁぁあ、、

でもこーゆう人間の心の闇を描いた作品、好きなんだよなー。病んでんのかなーw