読書」カテゴリーアーカイブ

近代名建築で食事でも

近代名建築で食事でも稲葉なおと「近代名建築で食事でも」。一級建築士でもある紀行作家の著者は、B’z 稲葉浩志のいとこである(が故にわたしの知るところとなる。笑)。

東京に現存する内部の見学と喫茶が可能な建築や、レストランとして飲食を提供している近代建築16軒を紹介している。高級フレンチから学食まで、近代建築を楽しみつつ食事。なんとも素敵ではないか。いくつか行ったことのある場所もあるけど、行ってみたいところができて楽しい。この書籍の刊行は 2007年なのだが、九段会館は昨年の地震によって廃業となったし、歌舞伎座も現在建て替え工事中。ここに収録されている残る建築も、いつかはなくなってしまうかもしれない。行ってみたいところは早めに行ってみよう。まずは、立教大学の学食かな。

本じたいは、写真とテキストのバランス的に仕方ないのかもしれないけど、個人的にはもうちょっと写真を見やすくしてほしかった。稲葉なおと氏の著作は今回初めてだったのだが、他にもいくつかポチった。家探しの参考になるといいけど。。w

模倣犯

模倣犯1そういや東野圭吾って読んだことないなあ読んでみるか。とおもって手に取ったのは、なぜか宮部みゆきだった。数年前に絶対買ったはずなのにどこひっくり返して探しても見つからなくて、仕方なくもっかい買ったところの「模倣犯」。はい今さらですね。でもこのちょう長い小説、一気に読んでしまった。面白かった。

ミステリーだけど、群像劇でもある。加害者、被害者、加害者の遺族、被害者の遺族、警察、マスコミ、直接は無関係の人、いろんな立場の人間の心情。回収されてない伏線があったような気もするし、最後はけっこうあっさり?という感じがしないでもないけど、まあそのこ感じ方は人それぞれなのかな。

それにしてもこんだけ長い話を最後まで読ませるのは、やはり作者の力量あってこそなんだろう。映画がヒドいらしいけど、ちょっと見てみたいw

告白

告白ゆきちゃん(仮名)の tweet で面白そうだなと手に取った、湊かなえ「告白」。幼い娘を校内で亡くした中学校の女性教師が、ホームルームで「事故ではない、このクラスの生徒に殺されたのだ」と告白するところから物語ははじまる。
語り手が変わっていくのがおもしろい。おなじ物事でも視点でだいぶ変わってくるのがよくわかる。登場人物たちはみな、悪い意味だけど、すごく人間的だとおもう。嫌だけど、こういう人いるよな、っていう。少年犯罪、復讐、母子関係、教育、HIV など、いろんな重いテーマが盛り込まれてるとはおもうんだけど、もうひとつ消化しきれないのが読後感の悪さにもつながるのかなぁ。細かいとこツッコミ入れてもしょうがないのでそれらはモロモロおいとくとして、それでも緻密な心理描写で一気に読ませた。

モダンタイムス

モダンタイムス・上人は分からないことがあったらまず検索する。インターネットがなかったころはどうしていたんだっけ? とおもってしまうほどに、それは既に当たり前のことになっている。

伊坂幸太郎「モダンタイムス」。この小説の舞台は今から 50年ほど未来。恐妻家のシステムエンジニア・渡辺拓海がある仕事を請け負ってからというもの、彼の周囲では不穏な出来事が次々に起こる。彼らは皆、ある複数のキーワードを同時に検索していたのだった。

社会というシステムは「そういうことになっているもの」「仕組み」であって、その目に見えない大きな何か、漠然としたものに対峙していく。ネット社会、国家や権力といったもの、近未来の話ではあるけど、限りなく現在にも近いかんじで、今まさにそういう方向に向かっているのかもな・・・なんておもったり。

前半は面白かったけど、後半はテンポ悪くなったな。なんかいろいろ中途半端なかんじするし。本筋にはあんまり関係ないけど、気に入った一節↓

美味しいものは、食べると消える。世の中で一番つらいことの一つモダンタイムス(下)

怪帝ナポレオン三世

怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史友人の読書 tweet で知り、高校のとき世界史好きだったので読んでみようとおもって積んでおいたもの。なじみのある名前がたくさん出てくるんだけど、忘れている部分もあるので実家で当時のノートを引っ張り出してきてざっとおさらいするなどした。

ナポレオンの甥であるルイ=ナポレオン(ナポレオン三世)の生涯とその治世であるフランス第二帝政を描く。偉大な皇帝であった伯父とは対象的に、凡庸で女好き、さらには戦争で捕虜になり帝政の終焉を迎えることなどからマイナスイメージが強いナポレオン三世。しかし、実は社会福祉や公共事業を進め、フランス近代化に大きく貢献しているということがわかる。現在の美しいパリの都も彼の大改造によるところが大きいそうだ。謎多き皇帝は、著者の言うように「評価されざる偉大な皇帝」だったのかもしれない。

あやめ 鰈 ひかがみ

あやめ 鰈 ひかがみ今月の1冊、ジョブズの自伝。といきたいところだけど、買ってない。あーゆうのは1年後とかにブクオフあたりでやっすく買えるからね。そしたら読んでみてもいっかな、ていう。まあその程度。

で、なんとなく松浦寿輝が読みたくなり(わたしは時折このサイクルがやってくる。たぶん、松浦寿輝が好きなんだとおもう)、「あやめ 鰈 ひかがみ」。年の瀬の東京の片隅で、生と死の狭間で紡ぎだされる3つの物語。それぞれ独立した短編だけど、少しずつ絡みあって夢幻の世界に迷い込む感じが心地良い。しかもこの作品、舞台がウチの近所すぎて、街の描写がわかりすぎるもんだから、ますます現実と幻の境がわからなくなる。年の瀬の、仕事も納まって忘年会もひととおり終わり、でもまだ大晦日まで迫ってはいない、あの消化試合みたいな宙ぶらりんみたいな1日2日の雰囲気がわたしは大好きなんだけど、死ぬ間際のモラトリアムとでもいうか、その感じにちょっと似ていなくもないのかもしれない。1年の終わり=人生の終わりという暗示。この陰鬱な雰囲気、以前読んだ「花腐し」にも似て、やっぱりこの人の小説は好きだなとおもった。

ところでわたしはこの小説ではじめて「ひかがみ」という単語を知った。膝の裏側のことらしい。使ったことも聞いたこともなかったわ。。

中二階

中二階ここんとこジャンルはまったく違うんだけどたまたま外国人作家の著作が続いていたので、なんとなくその流れで積んであった本の中からニコルソン・ベイカー「中二階」を手に取った。

この小説は、一人の男が昼休みを終えてオフィスのある中二階に戻るエスカレータに乗るところからはじまり、下りるところで終わる。その間、彼の思考はめまぐるしく展開され、日常の何気ないことを超ミクロ的に考察している。思考はどんどん枝分かれし脱線に脱線を重ね、それはまたとんでもない長さの注釈となって本文をも浸食する*1。切れた靴ひもにはじまり、牛乳パック、ストロー、ペーパータオル、ポップコーン、耳栓、シャンプー、などなど、日用品とそれをとりまく日常に終始しながらもひとつひとつに物語があり、ところどころニヤリとさせつつ読ませるのだ。普段見落としがちだけど、日常とはなんと楽しいことにあふれているんだろうとおもう*2

*1 この注釈が数ページにわたることもあり、話があちこち飛ぶ上になんどもページを行ったり来たりして、読みはじめはどうも読みにくくて困ったものだ。だけど読み進めるうちにだんだんそれにも慣れてきて、自分のリズムで本文を離れてまた戻って、という動作が出来るようになっていた。お気づきの方がいるかもしれないが、このエントリにおいてこのスタイルをちょっぴり取り入れてみた。

*2 ドラッグストアのレジ係のオネーちゃんが有能で、多少並んでる人数が多くてもレジを捌くスピードが速いので結果早く会計を済ませることができる、というエピソードがあった。ちょうど先日読んだばかりのきのう何食べた? 5巻(この本も、料理が参考になるというだけでなく、日常の幸せをひしひしと感じることができるからほんとうに好きだ)にもこれとまったく同じエピソードが描かれていた。そしてご多分にもれず、わたしにも近所のスーパーにお気に入りのレジのオネーちゃんがいる。彼女のレジ捌きはひときわ秀でている。スピードもさることながら、大量の商品をカゴの中に収めるその整理の仕方が実に合理的で美しいのだ。なので、列の長さや並んでいる客のカゴの中身を鑑みつつ、彼女の列に並ぶことも多い。ある日、彼女のレジで会計を済ませ、袋に商品を詰めて店を出たとき、買ったはずの豆大福を袋に入れた記憶がないことに気づいた。レシートを見ると、たしかにレジは打ってある。袋の中にはやはりない。おかしいな、とおもってレジに戻り、彼女にその旨を伝える。どこかに引っ込んで、しばらくして戻ってきた。手には豆大福。他のお客さんが届けてくれたそうだ。つまり、わたしが袋に入れ忘れていたということだ。大福一つに必死になってる人みたいで(実際必死だったわけだが)、なんとも恥ずかしいことであった。きのう何食べた? において、シロさんの「今時スーパーで買い物するサラリーマンなんか珍しくないし俺のことなんかいちいち覚えていないだろう」という考えとは裏腹に、有能なレジのオバさんは「木曜日の低脂肪乳男」と認識していた(であろう)ことと同様、わたしもよく水曜日に(ポイント5倍デーなのだ)買い物に行くことが多いのだが、いつも作業着であるため、「水曜日の作業着の女」と認識されているんじゃないか、という自意識をもっていた。そしてこの一件で彼女はわたしを「水曜日の作業着の女」から「水曜日の作業着の大福女」と認識したんじゃないか、などというどうでもいい被害妄想にとらわれたりもした。だもんで、彼女の列に並びにくくなってしまった。そろそろ大福のことは忘れてくれているといいのだが。それにしても、ひと月に読んだ本の中でまったく同じエピソードに出会うとは、おもしろいものである。

火宅の人

火宅の人標準語しか喋れない人間にとって、方言というのはどことなくエキゾチックな響きをもって魅力的に聞こえるものだ。個人的に、女の子の博多弁というのは最強の部類だとおもっている。

てなワケで方言で話す女の子に弱い貴方に*1 、檀一雄「火宅の人」。愛人との生活を描いた自伝的小説なんだけど、その愛人恵子が博多弁をしゃべるのね。「好いとるよ」て、くーっ、タマランねぇ。言われてみたいねぇ。ちなみにわたしが言うと、「吸い取るよ」になります。

それにしてもこの主人公桂一雄の(てか檀一雄そのものなんだろうけど)生き方がすぎょイ。がーっと働いてじゃんじゃん稼ぎ、その稼ぎを湯水のようにじゃぶじゃぶ遣って飲んだくれ、スッカラカンになるまで放蕩生活、ついでに料理好き。なんてフリーダム。いいなぁ、うらやましいなぁ。まあ妻子ほったらかしてあっちこっちで愛人つくるのはどうかとおもうけどね。

*1 本読みHP – あいうえお順読書ガイド(ほ)方言で話す女の子に弱いあなたに

八月の犬は二度吠える

八月の犬は二度吠える8月なので、「八月の犬は二度吠える」。鴻上尚史が浪人時代に行っていた予備校の寮での生活をもとにした青春(?)小説。だとおもって読みはじめたんだけど、話は過去から現在へつながる。氏がエッセイで度々触れていた話なんだけど、どこまでがノンフィクションなんだろう・・・なんて思ってみたり。ちょうど8月16日に五山の送り火の映像が流れ、大の文字の右上に点の打ってあるところを想像した。のは、きっとわたしだけではないだろう。もちろんあれは戌年だけだから、今年は通常通りの「大」だったけれど。

無性に京都に行きたくなった。そんで、大文字山に登ってみたくなった。

ところで、鴻上尚史の舞台を観てみたい。ロンドンの人がハルシオン・デイズ観にいったそうで羨ましい。秋の第三舞台、チケット取れるだろうか。。

蒼穹の昴

蒼穹の昴(1)文体一致診断で浅田次郎って言われたので(今は寺田寅彦になってるけど)、積みっぱなしだった「蒼穹の昴」に手を出した。清朝末期の中国を舞台にした、政治の混乱とそれに関わる人物たちの人間ドラマ。史実とフィクションが入り混ざって楽しい。むかし世界史でやった人物がたくさん登場して、かなりテンション上がる。全く知らなかったんだけど、最近 NHK でテレビドラマ化されていたようだ。ちょっと見てみたかったかも。

まだ最終巻読み終わってないんだけど、今月なんかあまり本読んでなくて、1冊選ぶとしたらこれしかないなと。その前に読んでたのはベッタベタのラブストーリーが続いて(この暑苦しいのに!)、若干(いやかなり!)辟易してたもんで。。
まだ途中だけど、たいへんおもしろい。

まだ途中なので、そんなテキトーな感想で。←やる気なし