カテゴリー別アーカイブ: 読書

はじめてのうちゅうえほん

はじめてのうちゅうえほん最近また本読んでない。ので、ついに絵本になってしまったw 義妹が太郎の誕生日に絵本を買ってくれるというので、友人がオススメしていた てづかあけみ「はじめてのうちゅうえほん」をリクエスト。太郎にはまだ早いかなとおもったけど、自分が欲しくて選んだw

小学校の理科でやるようなことがかわいい絵で説明されているんだけど、ちょこちょこ「え、そうだったの」みたいな情報があって知識の虫食いに気づいたり。冥王星が惑星から外れているのが時代の差だねぇ。宇宙のロマンを感じて知的好奇心をくすぐる楽しい絵本。これのシリーズいろいろ出てるので集めたい。こんなの読みつつ理科好きの少年になってくれるといいなぁ。

はるまき日記

はるまき日記 偏愛的育児エッセイ江古田ちゃんの作者の育児エッセイが文庫になっている。ちょっと読んでみたいよねってことで、瀧波ユカリ「はるまき日記」

まずおもったのが、あれ、四コマ漫画じゃないんだ、ということ。文章もいいけど、やっぱり漫画で読みたかったなというのが正直なところ。でもさらりと読めるので太郎との生活のちょっとした隙間時間に読むにはいい感じだった。赤子あるあるも大いに共感。

そしてはるまき6ヶ月の2011年3月11日、あの地震、そして原発。著者は東京を脱出、生まれ故郷でもある北海道に移住した。太郎はそれ以後の世界に生まれてきたから今はもう普通にここで生活してるけど、もしあの時に太郎が生まれていたらわたしはどうしていただろう。

この本わりと賛否あるみたいで、まあちょいちょい引っかかるところはあるけど普通に楽しめた。あと著者紹介のとこで気づいたけど、瀧波ユカリって日芸なのね。しかも写真学科。だから江古田ちゃんでも写真学生のヌードモデルのネタとかあったのね〜と納得。

愛に生きる

愛に生きる母方の祖母が若い頃に鈴木鎮一の邸宅で奉公をしてたことがあるらしい。わたしはあまり聞いた覚えがないんだけど、兄がその話をたまに聞いたらしい。多くの世界的なヴァイオリニストを育てたスズキメソードの創始者であり教育論者ということで、どれひとつその著書でも読んでみようか。てなわけで鈴木鎮一「愛に生きる」

「能力は生まれつきではなく、育てるもの」という教育論。正しく努力すれば、どの子もちゃんと能力は育つという。子供の教育のひとつのヒントになるかとおもって手に取ったけど、それはつまり親である自分がどう行動するかっていうこと。引き取った豊田耕児少年の好ましくない動作を改めさせるために、家の者がもっとよい行動、よい作法の生活をするようにしたという話。人を変えるには先ず自分が変わらなければならない、なんかどこかでも聞いたような話だけどそういうことなんだろう。

あと鈴木鎮一という人のことをよく知らなかったけど、アインシュタインと親交があったり(!)、なんかいろいろすぎょイ。そんな人の家で祖母が働いていたってのも半ば信じがたいけど、晩年認知症でわけわからんくなっててもピアノを弾いたり歌を歌ったりする祖母のあの音楽的な部分は、若い頃のこの家での経験も大きく影響しているのかもな、とおもったりした。

とりあえずここ最近は、毎日太郎にピアノ弾いて聞かせてる。わたしのヘタクソな演奏では正しい能力が育たない気もするけど、わたしが弾いてるのみて太郎が自発的にやりたいっておもってくれるようになればいいなと。きっとそれが才能の第一段階となるはず。

ニューヨークで考え中

ニューヨークで考え中TL に流れてきた近藤聡乃「ニューヨークで考え中」。近藤聡乃といえば、「電車かもしれない」。このアニメーション、大学の授業で紹介されてすごい好きだった(このブログの黎明期にも書いたような)。ていうかこの方の作品てそれくらいしか知らなかったんだけど、イラスト、アニメーション、漫画といろいろやってるアーティストで、現在ニューヨーク在住だというのもはじめて知った。

というわけでポチってみたところのこのエッセイ漫画。ニューヨークでの生活なのに、なんだかすごく身近に感じるから不思議。穏やかな日常を綴る中での適度な力の抜け具合とか、なんというか地味な感じがなんかすごくしっくりくるかんじ。なんかこの人いいなぁ。海外生活って昔から憧れがあるけど、するなら絶対ヨーロッパ! って思ってたけど、ニューヨークもいいなぁ。いやまあ、そんな予定これっぽっちもないけどさw 靴をほめられる話が好きだ。

臨死!! 江古田ちゃん

臨死!!江古田ちゃん(8)江古田ちゃんが完結していることに今頃気づいた。てなわけで、瀧波ユカリ「臨死!! 江古田ちゃん」8巻、最終巻である。10年連載してたらしい。江古田ちゃんは24歳なんだけど、友人に主人公がぷちともっぽいと言われて買ってみた当時はまだ年齢も近かったけど、だいぶ離れたなぁw 最後の「脳裏に顔がよぎるとうわっとなる段階」がわかりすぎて泣ける。早くどーでもよくなるといいね。江古田ちゃんは、江古田ちゃんももちろんいいんだけど、友人 M がまたいいんだよなぁ。こんなステキな友人がいたらいいな、そしてこんなステキな誰かの友人でありたいな。

神々の山嶺

神々の山嶺 (上) 1年くらい前に買って積んであった夢枕獏「神々の山嶺」。カトマンドゥの街で買った古いカメラは、ジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかという登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの過去を追ううちに、羽生丈二という1人の男と出会う。

わたしには山の経験はないけど、それでも胸の内に熱い物がこみ上げる。何かを成し遂げる、ただそれだけのために人生の全てをかける、そんな男の姿があまりにも格好よくて。今のわたしは太郎のために生きるのが第一で今はそういう時期だってわかってるけど、ただなんとなく日々が過ぎていくんじゃなくて、何かしたいという気にならざるを得ない。

これ映画化されるんだね。観てみたいわ。

ことばの発達の謎を解く

ことばの発達の謎を解く太郎に離乳食を与えるとき、「あーんして」って言うと口を開ける。もしや日本語通じた!? とかおもったけど、実際どうなんだろ。・・・といったところへよそのブログで見かけた今井むつみ「ことばの発達の謎を解く」。単語も文法も知らない赤ちゃんが母語を使いこなし、ことばを思考の道具として身につけて行くまでの過程をひもとく。

いやーこれすごいおもしろかった。子供が言葉を習得していく過程を実にわかりやすく解説している。言葉の学習が科学的思考の基礎になる、というのにすごく納得。また、「意味のシステム」を構築していく言語学習の過程が、大人になってからの外国語を習得する際のヒントにもなる。言葉は、子供が自分で考えて自分で習得して行くしかない。それを手助けするために大人ができることは、上質なインプット、つまり日常の中の気持ちを通じ合わせた丁寧な対話を与えること。今目の前にいる小さな人のためにも、ぜひ心がけたいものだ。いい時に読んだなぁ。

潮騒

潮騒これの前に読んでいた本に一節が引用されていて、昔読んだのに爽やかだったってことしか覚えてなくて読み返してみたところの、三島由紀夫「潮騒」。久しぶりに三島読んだけど、前に読んでたのが現代作家でわりと崩れた文章だったのもあって、その端正な文章がすごく心地いい。そして潮騒はやっぱり爽やかだった。三島じゃないみたいよねこれ。

天災と国防

天災と国防ずいぶん前に文体一致診断で寺田寅彦と言われたので(今日やってみたら浅田次郎だった)買って積んでいたところの寺田寅彦「天災と国防」。著者は物理学者で「天災と国防」ってんで、さぞや小難しい論説文なのかとおもいきや(だから長年積んであったw)、2011年の東北地方太平洋沖地震の後にまとめられた災害関係の随筆集だった。

書かれたのが戦前なので現代には当てはまらないこともあるのは当然だけど、深い考察から得られたものは現代の問題を考えるにも参考になる部分が大きいとおもう。「津浪と人間」の冒頭で、こんなに度々繰返される自然現象ならこれに備えて災害を未然に防ぐことができそうなものなのに実際はそうもいかないのが人間的自然現象だと言っているが、まさにその通りで同じように災害は繰返された。そして「天災と国防」の中で「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する」と指摘しているが、先の震災での原発事故を思わずにはいられない。

ニッポンの音楽

ニッポンの音楽 よそのブログで見かけてポチッたところの佐々木敦「ニッポンの音楽」。1969年から始まる「Jポップ」葬送の物語であり、ニッポンの寓話でもある。時代を代表するというよりは、「外=欧米」から「内=日本」へと向かう流れの中心となったミュージシャンたち、70年代 はっぴいえんど、80’年代 YMO、90年代 渋谷系と小室系、00年代 中田ヤスタカ、各年代の主人公の物語で解き明かす。

YMO は数年前に友人の影響でよく聴くようになったけど、知っているのはその音楽だけで、彼らがいた当時にどんなふうにでてきてどんなふうに活動していたのか全く知らなかったので、へぇ〜〜ということがいろいろあった。あそこらへんのミュージシャンたちの横のつながりとか、ああそういう流れなのね、と。

わたしがリアルタイムに経験したのは小室系。中学生の頃、そこらじゅうに小室系があふれていた。自発的に聴いていたわけではないけれど、当時の思い出と共にものすごく記憶に残っている。あまりにもなつかしすぎて、安室奈美恵の 181920 をポチ・・・りそうになったけど、ウィッシュリストに入れるにとどめておいたw

最終的に筆者は今や「内」と「外」という区別はほとんど意味を持っていない、と述べている。確かにインターネット時代にあって時間的な差はなくなっているけれど、Jポップそのものはなくなったという感じはしないかなぁ。まあ現在チャートの上位を選挙じゃなかった占拠するアイドルたちもまたちょっと違うくくりなのかもしれないけど。