終りの季節

父がこの世を去って、2週間経った。なんだかあっという間だ。わたしは今までと何ら変わることなく、朝起きて、会社に行き、帰ってきて、家事をして、寝る。そしてまた、次の朝が来る。父がいなくなっても、世の中は何事もなかったように動いているし、日々は同じように過ぎていく。家族からの電話やメールにドキリとすることがなくなり、穏やかな日常に戻っていく。

わたしはもう何年も父とは一緒に暮らしていなかったから、普段は父の不在を意識することが少ない。だけどふとした瞬間に、父の口癖だとか、仕草だとか、わたしの名前を呼ぶ声だとかが頭に浮かぶことがあって、たまらなく寂しくなる。実家に帰っても、父の会社に行っても、いつも座っていた席に父上はいなくて、ああいないんだなぁ、とおもったりする。不在という存在の寂しさを感じる。

父が癌と診断されたのは、今年2月。だけどはじめのうちは、全然実感がわいていなかった。というか、事実を事実として受け入れられなかったんだとおもう。父上は死なないとおもってたし、病気はよくなるもんだとおもっていた。信じてた、とかじゃなくて、当たり前にそうおもっていた。死ぬわけないじゃん、と。

だけどある日、本を読んでいる時に、突然事実を受け止めた。佐々木常雄「がんを生きる」。それまであえて避けていたガン本に手を出し始めて、何冊目かに読んでいた本だった。これを読んでいて、なんだかわからないけど急にわたしは「父上が死ぬ」という現実を認識したのだ。朝の通勤電車の中で、溢れる涙をどうにもこうにも止められなくなってしまった。父上は死ぬの? 本当に? あの暗い表情のままで? わたしは父上に何をしてあげられるの? 何もできないの?

6月半ばに、余命4ヶ月と宣告されていた。その頃は、もう以前の父上とはまるで顔つきが変わってしまっていた。体調は日に日に悪くなり、会社では社員の人を怒鳴りつけたりすることも多くなったという。いつも暗い表情をして、心を閉ざしていた。きっと、死について考えたりもしていたとおもう。いや、考えざるをえないだろう。だけど口に出すのは会社のことばかり。わたしたち家族は父上が今何を考えているのか、死についてどう思っているのか、残された時間をどう生きたいのか、それをとても知りかった。父上に本心を語ってほしかった。だけど、その胸の内を語ってくれることは、ついに最後までなかった。何をしてあげられるのか、何もしてあげられないのか。何もわからなかった。それがとても、悲しかった。

父が創業し今までやってきた会社は、来年で40周年を迎える。10年続く企業が 5% と言われる中、苦労しながらもここまできたのはすごいことだとおもう。しかし、67歳の父に替わる後継者がおらず、いつも「会社どうすんだ」と、そればかり言っていた。告別式の席で父上の友人に「子供4人もいてだれもやってくれないんだ」とこぼしていたことを聞いた。継いで欲しいなら素直にそう言えばいいものを、それを強いたくはないと決して言わなかった。一時期わたしも継ぐことをかなり考えたりしたが、結局決断することはできなかった。もう何年も続いていた後継者問題は、父にとって相当なストレスになっていたのだろう。

父の死が避けられないものと知り、残された時間が少なくなるにしたがって、会社のことはもういいから、自分のやりたいことだけやればいいのに、とおもった。好きなことをして、心穏やかに残された時間を大切に生きればいい。他の家族もみんなそう言った。だけど、そうではなかった。父上にとっての心の平穏は、結局のところ会社がうまく回っていくことによって得られるのだ。最後の半月ほどでよくわかった。病状が悪化してきても、会社の人がお見舞いに来ると表情が生き生きとするのだ。仕事の話をしているときが、1番輝いていた。父上にとって、協和電子工業株式会社は、人生そのものだったのだ。

父の死に直面して、死についてものすごく考えるようになった。死ぬこと、そして生きること。人間の身体のこと。死を意識することは、今を大切に生きることにつながる。そして、家族の結束力はより強固なものになったとおもう。これは確実に言えること。特に兄はまるで人が変わった。本当に変わった。兄が変わるために父上が癌になったんじゃないかとおもうくらいに変わった。今まで好き放題していた兄が、会社を手伝い、実家に戻り、父と母のために尽力してくれていた。葬儀で喪主の母をサポートする姿は、本当に立派な長男だった。また、会社の代表という立場的なこともあって、病気のことは本人の強い希望で父の周囲にはずっと伏せられていた。だけど、母の友人たちは毎日のように入れ替わり立ち代りお見舞いに来てくれていた。いよいよ最後になって、駆けつけてくれた父の友人や親戚たち。中には毎日来てくれる方もいて、父も元気づけられたとおもう。この半年で、わたしたち家族はとても大切な大きなものを失ったけれど、得たものもたくさんあったのだ。

今でこそ激しく子供に甘い母上だけど、幼い頃はそれはそれは厳しい母親だった。そんな母の横で、いつも黙って穏やかに見守ってくれていたのが、父上だった。とにかく仕事が第一で、休みの日もとりあえず会社に行かないと落ち着かない。でもそれも全ては家族と社員のためだったはず。子供4人、みんながみんな好き放題して生きてこられたのも、父ががむしゃらに働いてくれていたから。今ならそれがどんなに大変なことか、痛いほどよくわかる。父上、心から、ありがとう。父上と母上の娘で、わたしは本当に幸せでした。親孝行できなくてごめんなさい。父上が天国で安心していられるよう、日々過ごしていきたい。残された家族みんなが幸せであることが、父がいなくなってしまった今できる最大の親孝行だと信じて。

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